ブックタイトル平成29年度公開講座記録集

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平成29年度公開講座記録集

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平成29年度公開講座記録集

第1回 災害復興と地域づくり?大震災からの経験と教訓?【第1回公開講座 渡辺氏講話概要】2017年11月12日の13時をまわった時、コープシティ花園ガレッソホールのスクリーンには、13年の月日が経過した中越大震災の凄惨な災害現場が映し出されていました。2004年10月23日、17時56分、震度7 、マグニチュード6.8の巨大地震が襲来し、小千谷市、十日町市、長岡市、見附市を中心に、山崩れや土砂崩れなどで鉄道や道路が分断される甚大な被害(約6000ヵ所)をもたらしました。直下型であったことと、軟弱地盤地域であったことが住民に強い恐怖を植えつけた地震でもありました。震度5 弱以上が18回という、2 ヵ月あまり余震が続いた当時の状況は、県内有数の豪雪地帯において二次災害が懸念される中での復旧作業を強いました。そうした懸命なる救済の一方で、最終的な中越大震災の被害状況は、死者68人、負傷者4795人、全壊3175棟、大規模半壊2166棟、半壊11642棟、ピーク時の避難者数に至っては約103,000人という惨事(渡辺氏の発表資料に基づく)に及びました。公開講座の講師を担った渡辺斉氏は、1979年に東北大学大学院を修了し、新潟県庁に入庁されました。その後、住まい、建築、まちづくり、地域づくりを担当され、中越大震災においては仮設住宅建設の総括を担当の後、山古志村など被災10市町村が合併した長岡市の復興管理監(長島旧山古志村長の後任)として復旧復興に携わりました。災害当時を振りかえって渡辺氏は、阪神淡路大震災に匹敵する強い揺れを記録した中越大震災が、建物の倒壊で亡くなった被害者数が5000人を超えた阪神と比べ、14人と圧倒的に少ない被害状況だった背景に、長い歴史のなかで豪雪と戦い雪国仕様の住宅を供給してきた建築士、大工、職人たちの働きがあったことを強調されました。さらに、中山間地域でコミュニティの色濃く残る地域習慣が、「あそこのおばあちゃんはあの部屋で寝ているはずだ」などの独自情報の把握につながり、住民たち自らが協力して救出する連携力の強さを発揮し、被害の軽減につながった逸話も印象強く拝聴しました。応急仮設住宅の住戸タイプは、1 DK( 6 坪、19.8平米、単身用)、2 DK( 9 坪、29.7平米、2 ・3 人用)、3 K(12坪、39.6平米、4 ・5 人用)の3タイプを設定し、6 人以上の大家族の場合はこれらの組み合わせで対応できるよう、奥行き全てを3 間で統一させ、異なる間取りを連結可能にすることで、多様な家族が助け合える空間設計が採用されております。さらに、被災地が全国有数の豪雪地域で、土地とのつながりが強い典型的な中山間地域であるため、積雪2 メートルに耐えられる構造及び断熱性、積雪寒冷対策となる玄関風除室や雪囲いの設置、高齢者へのバリアフリー化にも配慮されました。ところが、短期間内で下されたこうした配慮は、多いところで積雪4 メートルという19年ぶりの豪雪に見舞われたことで、結露や雪下ろしを被災者が担うことになり、結果的に大きな負担になってしまった現実を知り、想定すべき設計条件の難しさを痛感しました。以上のような経緯から、応急仮設住宅建設に要した2 ヶ月あまりで、教訓になった知見を時系列(備え⇒対処⇒学び)で整理したものが以下の内容です。【備え】大震災を想定したシミュレーションや諸準備(建設用地、収容力、地盤、インフラ等の把握)の重要性【対処】全国一律ではなく地域特性に適した居住空間の確保【学び】戦後大規模に自然を造成してつくられた道路や住宅団地の盛土被害の大きさに比べ、人力で構築した村道や隧道、昔からの神社などの被害が軽微であった事象(自然を読み解いてモノをつくってきた先人の知恵)第1回公開講座災害復興と地域づくり?大震災からの経験と教訓?第1部 講話「災害復興と地域づくり?大震災からの経験と教訓?」新潟県建築士会常務理事 渡辺 斉 氏3 University of NIIGATA PREFECTURE