ブックタイトル平成28年度公開講座記録集

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平成28年度公開講座記録集

平成28年度 新潟県立大学 公開講座 新しいつながりのかたちを求めて況にあるわけですし、私は地震や復興の映画を撮るつもりはありませんでした。私は、自分の中で決めました。ニュース映像でよく見るような、家の天井がぐらぐらしている様子とか、ずるむけた家とか、そういうものは撮らないと。それから彼らの仮設住宅も、その生活も撮らない。僕はそういうふうに決めました。ただし、そういう大きな事件があったときに赤裸々になってくる人間の関係の濃密なところは、きちんと撮っていこうと思いました。地震の映画にはしたくありませんでしたし、たぶん村の人たちは、これ以上の被害であっても、これまでもさまざまな形で乗り越えてきたのではないかということを表現するために、地震に関連する場面はなるべく早く前半のほうで終わらせました。●ドキュメンタリーのなかの異次元の世界と時間小林:それから民俗芸能的な部分については、私は、今回は撮らないというふうに半分決めていました。ところが、「大地の芸術祭」のイベントとして秋の収穫祭が開催されて、そのとき地元の方が呼ばれて神楽舞をやったのです。神楽は笛や太鼓がありますので本当はチームでやるわけですが、神楽を踊れる人はもう村に2 人しかいません。それで、収穫祭では、昔録音したカセットテープを使って舞うことになっていました。ところが、若いスタッフが事前のテストをしなかったために、本番で音が出なかった。カセットテープをひっくり返したりなんかして。私は、神楽の人たちを軽く扱っていることに対して、心の中で憤激しました。そして、出し物が終わってから彼らの楽屋に行って、「きょうは大変やりにくかったでしょうが、大丈夫でしたか」と声をかけ、友達になりました。対応のひどさを私は自分なりにフォローしたかったんですね。と同時に、非常に神楽がすばらしかったのです。獅子が足先を噛んだりして、本当に上手だったんですね。それから、待てよと、これはやっぱり撮りたいと思い始めるのです。神楽は、「神の楽しみ」と書きますけども、お祭りの中で人が「神」になる瞬間なのです。神楽舞の撮影の後、神社で着替えをしていただいたのですが、獅子の頭を取っても、あれだけの踊りをしますから、直後はもう顔が紅潮しています。「神」になっている。それがだんだんと収まって、だんだんと人間の顔に戻っていく。それを映画の中に入れたかったんですけど、それはできませんでした。でも、僕は代わりにある場面をつくりました。神楽が、人間が知らない世界、人間が知らない時間にやって来て、「今年の収穫はどうかいな」と眺める、そういう場面です。そして、稲を乾燥させている稲架場の前で、神楽に踊ってもらったわけです。映画では、そこに村の人たちの太鼓の音が重なります。あのシーンは、村の人たちの世界とは違う神の世界が訪れているのだというふうに見ていただきたいと思います。だから今、質問者の方がおっしゃっていた、(質問者の)おじいさんとか、関係者の人たちは、そういう役目をしていたのだろうと思います。人間の暮らしの中には、民俗学でよくいう「ハレ」と「ケ」というものがあります。人は「ケ」の部分だけでは生きられないので、「ハレ」の部分を持っているわけです。だから俗的な人間だけれども、神楽を被り、そして踊ることで「ハレ」の神に近づく。そしてそれは同時に、作物は神が与えたものだということも表します。日本の場合、神というのは自然と考えてもいいと思います。あの映像では、そういう時間が流れているのです。つまり、時間軸がずれている。それから世界が違っている。異次元の世界の、異次元の時間、そう受け取っていただければと思います。映画の冒頭にあるキツネの子どもたちのシーン、あれも、異次元の、異空間の時間の出来事として見てほしいです。原作は宮沢賢治の「雪渡り」で、その中のキツネの幻灯会のシーンを子どもたちに再現してもらいました。でも、本物を出したいということで、本物のキツネが出ています。クマもいました。タヌキもいました。本物でしたが、生きてはいませんでした。?製だったのですね。持ち主に頼んで、貸してもらいました。剥製を雪の上に置くということで、持ち主が綿で剥製の下部を保護してくれました。これだったら撮影しても雪のように見えるからと。人間の子どもは面をかぶっていますが、面には神楽と同じ意味があります。面をかぶることで、子どもとキツネが交流しているというところを表しています。ドキュメンタリー映画の定義に関わる問題ですが、それでも、この映画はあくまでもドキュメンタリー映画だと思っています。ただ、そういうふうに自分に浮かんだシーンを再現するとなると、それをUniversity of NIIGATA PREFECTURE 12