ブックタイトル平成26年度公開講座記録集

ページ
17/64

このページは 平成26年度公開講座記録集 の電子ブックに掲載されている17ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

平成26年度公開講座記録集

ブックを読む

Flash版でブックを開く

このブックはこの環境からは閲覧できません。

概要

平成26年度公開講座記録集

Essay佐渡の「食」とは? 今回の担当となった青木先生と私がこのお題に直面することになったのが5 月である。とはいえ新潟に赴任して5 年目の小生には、佐渡について無知を晒すほかない。資料によると、新潟市の西方45kmに位置しその面積は855?であるという。これはシンガポールよりも大きい。アフリカを研究領域の一つとする私にとって、インド洋側で最も美しく人気(ひとけ)の少ない砂浜と珊瑚礁があるペンバ島と同じ感覚だ。タンザニア国にある同島は、海峡をはさんで本土から約50kmにあり面積が980?、香辛料の生産と漁業を主な生業とする…今回のテーマ「佐渡の酒と水」は(かように脱線するほか能の無い者ではなく)青木先生の発案であることは自明だろう。新潟の珍しい酒を扱う酒屋に明るく、沼垂の蔵元で求めた酒粕で漬け物、果ては(酒税法に抵触しない)自家製の酒の仕込みのお話は興味が尽きない。彼にとって冒頭のお題に日本酒が出てくるのはまさに水の如し。何はともあれ現場を見なければ始まらない。早速佐渡へ下見に行く計画が立った。だが好事魔多しである。6 月のある週末、腹部と背中の激痛に突如襲われた。翌日消化器内科医の従兄弟が勤める病院で得た結果は、果たして胆石であった。彼はエコーをぐりぐりと腹にあてながら「あー、2 個はあるねえ。これ取らないとダメだなあ」とニヤニヤ。この瞬間、2 週間後に迫った下見では私が運転手、青木先生が試飲担当と決定した。(結局手術は8 月まで待たされ、それまで発作への備えとして坐薬の鎮痛剤を携帯する生活を1 ヶ月以上強いられることになる。)さて佐渡である。7 月初旬快晴の朝6 時、万代島の佐渡汽船ターミナルは、郷愁を帯びた波止場の雰囲気など微塵もなく、あくまでも清潔で明るい。我々のジェットフォイルは、平日早朝の便というのにほぼ満席だ。揺れもほぼ感じない快適な1 時間の航行の後、両津ターミナル近くで車を受け取り、加茂湖を右に見ながら出発する。初上陸の佐渡は、ペンバ島の海岸のように、のどかで美しく、そして閑散としていた。途中の新穂という街では、空き家と思われる建物が散見される。こうして車で走ると、島とは思えないほど広々としているが、ガソリン価格が離島を実感させる。尾畑酒造のある真野は、湾に沿って走る350号線をはさんで昔ながらの商店が建ち並び、懐かしい気持ちを抱かせる。通りに面した酒蔵は意外と目立たず、最初は通り過ぎてしまった。だが国道と並行する山側の道に回り見学者入り口からみると、かなり奥行きがある建屋であることが分かる。入り口にある案内板から、訪問客の多さがうかがえる。築100年以上の蔵の中は涼しく保たれている。この時期はいくつかの部屋は閉じられて窓越しに覗くのみであるが、タンクが並ぶのを初めて目にして圧倒される。見学の最後はいよいよ試飲である。蔵を貫く通路の壁一面に酒が並んでいる。青木先生、気兼ねなくどんどん飲んでください。仕込みのないこの時期は、蔵の方からじっくりお話を聞くことができる。試飲の酒についてのやりとりを聞いているのは、浅学かつ素面の者にとっても興味深いものであった(詳細は青木エッセイを参照されたい)。講師の平島健さんに初めてお目にかかったのは、10月初旬の高橋さんご同席の打ち合わせ時である。平島さんは外見に比べ落ち着いた物腰の紳士であり、つまり年齢不詳である(失礼)。会社HPのプロフィールによると、昭和39年の10月生まれ。まさに東京五輪が開催され、タンザニア国が成立した時である。その後都内の大学を経て出版社に就職されている。とすると、私とほぼ同時期に同じような場所であの時代の空気を吸っていたことになる。80年代末、時代はバブル景気を謳歌していた。我々新入社員は新人類と呼ばれ、世の中は根拠のない自信に満ち、深夜の六本木では酔客が1 万円札をなびかせタクシーを奪い合っていた。そして年号は平成に変わり、バブルが弾け、後に「失われた20年」と称される長い経済低迷期に入っていった。そうしたジェットコースターのような時代である。平成7 年、彼は結婚を機に佐渡に渡り尾畑酒造に入られる。その後青年会議所や酒造組合など地域や業界に貢献されながら、平成20年に代表取締役に就任される。全く新しい土地で新しいことに挑戦した20年間である。口には表現しがたい思いの連続だったのではないかと勝手に想像する。私はといえば、大学を卒業してから自らの勉強不足を海よりも深く自覚し、大学院に入り直した。その後世界の各地を根無し草のように彷徨い、そして縁あって現在の職に就いている、そんな20年間である。そのような私とは対照的に、彼はこの地にしっかりと根を張り、責任ある地位に就かれている。同じく外から新潟に来た(ほぼ)同級生として、そのような平島さんはまぶしく、かつ頼もしい。「佐渡の酒と水」雑記渡邉 松男15 University of NIIGATA PREFECTURE