平成24年度新潟県立大学 公開講座

平成24年度新潟県立大学 公開講座 page 45/80

電子ブックを開く

このページは 平成24年度新潟県立大学 公開講座 の電子ブックに掲載されている45ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
第3回公開講座 阿賀野川流域と『阿賀に生きる』を語るC- 今年は頑張りましょう!一同 頑張ろーう! 頑張ろーう!D- フィルムがなくなりましたので。(一同笑い)E- まあたそぎゃ、手、突っ込むわ。F-....

第3回公開講座 阿賀野川流域と『阿賀に生きる』を語るC- 今年は頑張りましょう!一同 頑張ろーう! 頑張ろーう!D- フィルムがなくなりましたので。(一同笑い)E- まあたそぎゃ、手、突っ込むわ。F- 最終弁論を…E- ゆかたこうふにカネあらば、電信柱に花が咲く、焼いた魚も泳ぎだす、こら、絵に描いただるまさんも歩きだす。とろっこ、ぱったんだと。F- ずーっとさ、孫子の代までも、阿賀野川のあのかき、どーしてもお前さんのちもずを残してえ。日本一の舟じゃねえかね、おどど。旗野 こういうことで。遠藤 いい映画ですね、ほんとに。予告編でもほんとにいいんですけどね。大熊 あのう、今出てきた映像の中でも、裁判所に皆さんが行くシーンがありましたが、普通のテレビ局の人たちは、裁判所に入るのを前から撮っている。それを、小林カメラマンは後ろから撮ってるんですね。あの映像はいいなと思っていたら、ちゃんと予告編にピックアップしてくれて、なかなかいいなと思いました。遠藤 そうですね。大熊 次に、私が河川工学の専門家だったんで、川については詳しいんで、阿賀野川について、エッセンスをちょっとしゃべらせてください。これね、どこだと思う? 阿賀野川です。本尊岩という岩があるんですけども、そこが撮られています。ローレライの岩よりも、よっぽどこっちのほうがきれいだと思うんだけども、「ライン川のようだ」と明治の初めにやってきたイザベラ・バードが言っています。この景色はほんとに素晴らしいですね。ええと、阿賀野川は荒海山を源流として、流域面積が7,708平方キロメートルで、日本の川の中では第8 位の大きさということですね。年間総流量が12 6億立方メートルということです。一番多いのが信濃川で約160億立方メートル、2 番目が石狩川で、時々、阿賀野川のほうが大きくなるときもありますけど、平均するとちょっと石狩川のほうが大きくて、第3 番目に阿賀野川です。だから第1 位の流量の信濃川と、第3 位の流量の阿賀野川が、新潟県を流れているんです。それからここで重要なのは、小瀬ヶ沢洞窟っていう所に縄文土器が出ます。実は阿賀野川っていうのは、信濃川に合流していました。日本一の水と第3 位の水が合流しますから、新潟港は、冬の間、季節風で砂が吹き寄せられて水深が浅くなるんですけれども、それを全部フラッシュしてくれて、水深の深い良い港だったんですね。流域面積も両方合わせると2 万平方キロメートルになります。昔は船で物資が全部港に集まってきましたから、言ってみれば日本最大の経済圏、2 万平方キロの経済圏を持っている港ということで、日本最大の川港として栄えていました。ただ、出口が北のほうの荒川と信濃川の二つしかありませんから、水はけが悪くて、越後平野というのは水浸しで、いっぱい潟があったんです。それで、これをどうしたかっていうと、放水路をたくさん造って排水をして、乾田地帯にしたんですね。その放水路の始まりが、今の阿賀野川ですけども松ヶ崎掘割と書いてあります。そこに掘割を作ったんですけども、それが翌年の雪解けの洪水で突き抜けて今の阿賀野川になったんです。その結果、新潟港のほうには水が行かなくなって、港は水深が浅くなってしまいます。それで大きな船が入れなくなっちゃうんですね。そういうことで、この放水路の始まりは、松ヶ崎掘割です。もう一つ、越後平野の中でやっぱり一番大事なのは、大河津分水ですね。これが決定的に越後平野を穀倉地帯に変えていきます。その話をしてると長くなるんで、これでやめておきますけども、およそ300年前の阿賀野川下流には、蛇行しているところがいっぱいあったんですね。図の中で、黒い線で描かれているのが今の阿賀野川ということで、こんなにあっち行ったり、こっち行ったりしてたのが、まあ、整備されてきて、水害に遭わなくなったということですね。昔の阿賀野川は阿賀野川・本尊岩付近の美しい阿賀野川43 University of NIIGATA PREFECTURE