平成24年度新潟県立大学 公開講座

平成24年度新潟県立大学 公開講座 page 33/80

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第2回公開講座 新潟で水俣学を継承するが大量に浮上しました。これらの魚の中にはまだ生きているものも多く、水銀が含まれているとは知らない漁師たちはこの魚も食べていたそうです。このようなことから、御所浦に....

第2回公開講座 新潟で水俣学を継承するが大量に浮上しました。これらの魚の中にはまだ生きているものも多く、水銀が含まれているとは知らない漁師たちはこの魚も食べていたそうです。このようなことから、御所浦においては早くから水俣病の症状を示す人々がいたと考えられますが、昭和46年に熊本大学医学部の第2 研究班によって正式に水俣病患者が確認されるまで、御所浦には水俣病患者はいないというふうに伝えられていました。では、なぜ御所浦で水俣病被害が拡大したのかということを見ていきます。その原因は大きく3 つに分けることができます。1 点目は、食生活の中心が魚介類であり、とにかく大量の魚を食べていたということです。朝、昼、晩の3 食、どんぶりに山盛りの魚を食べていました。そのような生活の中でたとえ低濃度であっても、徐々に水銀が蓄積していきました。また、貧しい漁師たちは汚染された魚介類に危機感を抱きつつも、生きるためには魚を食べるしかない、という状況にありました。2 点目は、離島であるがゆえに、テレビや新聞などのメディアが普及しておらず、水俣病に関する情報は噂としてしか伝わらなかったということです。3 点目は、役場や漁業組合が水俣病を隠そうとしていたことです。御所浦の経済は漁業で支えられていたため、風評によって魚が売れなくなることを恐れた役場や漁業組合が、御所浦には水俣病患者はいないということにしていました。役場がようやく申請を手伝うようになったのは1990年代の終わりに近づいてからです。御所浦における水俣病被害の特徴は、低濃度の汚染魚を大量に摂り入れることで長い時間をかけて水俣病の症状が現れるということでした。御所浦に住んでいた2 人の女性の異常に高い毛髪水銀値がそのことを示しています。熊本県衛生研究所が昭和35年から37年の間に実施した、「水俣病に関する毛髪中の水銀量の調査」によりますと、御所浦の嵐口という地域に住んでいた大原シヅさんは600ppm、牧ノ島の椛ノ木に住んでいた松崎ナスさんは世界一の高濃度920ppmで、これは平均値なんですが、先端では1,850ppmも記録したそうです。この毛髪水銀濃度の見方ですが、右下の表にあるように(パワーポイントで示す)、男性の平均レベルが5.2ppm、女性の平均レベルが1.6ppmで、安全レベルの目安が5となっていますので、これと比べると920ppmと600ppmというのが、いかに高いかというのがおわかりいただけると思います。この調査は、潜在患者発見の手がかりになるはずでしたが、行政も医師も本人に結果さえ知らせずに黙殺しました。そのため、ほぼ間違いなく水俣病であったと考えられるナスさんも、死亡届の死因は「老衰」となっており、どの医師が診たかの記載もありませんでした。次に御所浦における救済運動です。1974年に水俣病患者の間で「水俣病認定申請患者協議会」というものが結成されました。これは現在の「水俣病患者連合」です。しかし、その御所浦支部ができたのは、4 年後の1978年です。その後も、これまでに見てきたように御所浦では早くから水俣病患者の発生の兆候が見られていたにも関わらず、水俣市で水俣病が公式確認されて話題になってから15年近く表沙汰にはなりませんでした。御所浦では水俣病に関する情報が噂としてしか伝わってこなかったので、正しく理解されず、水俣病患者に対する偏見が根強く残っていました。そして、それが水俣病であると言い出せない空気を作り出していました。また熊本大学の医師や学生は、申請を求める手紙を送ったり、実施検診のために御所浦を訪れたりしましたが、役場の対応は前述した通りの冷ややかなものであり、患者も水俣病だと配偶者が見つからないといった理由から申請に積極的ではありませんでした。さらに被害者間にも派閥やグループがあり、異なる集団の集会には参加してはいけないという状況が存在していました。このようにして、主に差別、偏見などが原因で、御所浦における救済運動、住民同士の連携はなかなかつくれませんでした。最後にこれまで見てきた御所浦の経験を活かすために、私が重要だと考えた2 つの課題を挙げ、この発表のまとめとしたいと思います。1 点目は、「どのようにして遠隔地に適切な情報を伝えるか」ということです。御所浦の役場や漁業組合では、風評によって魚が売れなくなることを懸念した結果、水俣病患者を隠すという判断をしましたが、そのようにして住民に適切な情報が伝えられなかったことが被害の拡大という結果につながりました。いかにして風評から生活を守りながら、被害の拡大を防ぐのか。その二つが両立できるのか、というのが難しい課題だと思います。2 点目は「コミュニティ内での連携はどうあるべきか」という点です。御所浦のような狭いコミュニティの中で利害の対立による分裂を防ぎ、人々の連携を深めるためにはどうするべきか。この点を考えてみる必要があ31 University of NIIGATA PREFECTURE