今回は、本についての本を紹介します。私は日本の古典を専攻していますので興味をもって読んだのですが、一般の読者には内容があるいは縁遠く感じられるかも知れません。しかし、本がどんどん読み捨てられてゆく現代、そして日々刊行される物としての本自体もせいぜい百年保つかどうかという時代に、今もなお数百年以上の時を経て生き残ってきた「和本」という書物があることを知ってほしいと思います。「和本」の紙は西洋紙ではなく和紙です。また文字はインクではなく墨で書かれています。昔は読みたい本があったらそれを人から借りて手書きで写し取って自分のためのたった一冊の本を作った人々がいましたが、江戸時代になると同じ本を何部も印刷する出版が盛んになります。とくに今日の出版文化を創り上げたのは、江戸時代の印刷出版業でした。その時代にはたくさんの書物が刊行されました。それらがいま古書店で取引販売されているのです。古書店というと、他人が読み古した本を安く手に入れるところにすぎないと考えている人もいると思いますが、昔の「和本」は時に何百万円の値段が付けられて古書店で販売されているのです。本書の著者も東京神田の古書店の店主だそうです。
「和本」の実物を見ないと内容が分かりにくいと思うので、いつか図書館で江戸時代の版本を展示したいと考えていますが、もし関心をもった人がいたら読んでみてください。
年明けにシネ・ウインドで映画を観た後、この岩波ジュニア新書を購入しました。映画ではふれられていなかったのですが、扉ページを開けてすぐに「新発田」という言葉が目に入ってきました。主役の奥村さんは、中条の出身で新発田連隊に入営し、山西省に向かいました。ジュニア新書とはいえ、奥村さんの戦後の戦いは十分に読み応えがあります。8.15以降も帰郷できず、中国国民党軍で戦っていた事とその理由は、まさに驚くべきものでした。映画もすばらしいものでした。
洲之内徹の全集はとても高値で取引されており、入手することが困難です。ただし県立図書館に入っていますので、借りて読むことができます。この短編は中国での日本軍を描いています。軍曹である世古(せこ)は、戦場での負傷兵の嘆きに「真情」というかたちの「意識しない装い」を読みとる冷静さを持っ ています。その世古の部隊に、彼が嫌う監視隊から、最も嫌悪していた冷徹で 無口な蛭子(えびす)兵長が送り込まれました。世古は階位の低い兵長に、あえて馬ではなく耳の長い動物を割り当て、軽蔑の気持ちを存分に伝えます。しかしある日、自らの抑制できない内密の悪行を見つけられます。世古は常に無言の兵長が何を考えているのかと悩まされますが、次第に冷徹と思われた兵長への見方にずれが生じてきます。たまたま旅先の日経新聞でこの作家を知り「砂」を読みました。昨年中で一番感動した短編小説でした。
台湾で生まれ東大生となった青年が、中国との戦争を始めた日本で自らの歩むべき道を必死に模索していきます。かろうじて戦中を生き延び台湾に戻りますが、そこでは17世紀に後戻りしたかのような政治的混乱が待ち受けていました。そして2.28から始まる恐ろしい時代に直面していきます。こうした戦中・戦後における、多くの友人、知人との関係や話し合いが、今からは想像もできない複雑な人間関係を浮き上がらせています。恋愛一つを取ってみても、銀行員の女性や下宿先の娘との関係にねじれた実状が入り込み、何度もページをめくる手が止まりました。幾度も読み返したいと思う本です。古本屋で見つけましたが、残念なことに現在は入手困難となっているようです。図書館にはよく置いてあります。
ロシア語通訳にしてエッセイストの米原万里は、2006年5月に亡くなってしまいました。仕事柄、図書館の飯田文庫*で出会って以来のファンでしたし、同い年のこともあって、少なからずショックを受けました。その文章はいつも歯切れが良く、どの本も面白おかしく、しかし、ものごとの本質をついています。その中から著者の持つ3つの顔を知ることができる3冊をご紹介します。
*ロシア語学・翻訳で業績を残された故飯田学長が、蔵書の中から本学の学生のために寄贈されたものです。
真っ先に紹介したいのが、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した本書です。
マリこと米原万理は、チェコのソビエト学校(旧ソ連が設けたロシア語で教育するインターナショナル・スクール)で少女時代の5年間を過ごしました。そこで出会った友人3人、おませで愛すべきギリシア人のリッツァ、なぜか他愛のない嘘ばかりつくルーマニア人のアーニャ、優等生で北斎の熱烈なファンのユーゴスラビア人ヤスミンカをめぐる三話です。
日本に帰国して30余年、マリは中東欧の動乱を生きる旧友3人を探しあて、劇的な再会を果たします。マリは3人の人生をたどり、国とは、民族とは、人間とは・・・と問い続けます。
タイトルにあるアーニャは、チャウシェスク政権崩壊後、惨状にある祖国ルーマニアを捨てます。その足どりを訪ねていくなかで、少女アーニャの嘘に隠された「真っ赤な」つまり「まぎれもない」真実が明らかにされます。
本書は2004年に文庫本化されました。解説を読めるのでこちらがおすすめ。書いているのは、"気鋭"という形容がぴったりの文芸評論家、新潟市出身の斎藤美奈子です。愛国心とはなにか、民族紛争はなぜ起こるのか、随所に示されている米原万里のメッセージを端的に読み解いています。
本書は、ロシア語同時通訳の第一人者といわれた米原万里の通訳論です。門外漢の私があえて本書をとりあげたのは、抱腹絶倒のエピソード満載で面白く読むうちに通訳とはどういうなりわい業か、素人にもしっかりと理解できたからです。しかも、通訳という個別具体的な話が、日本語論、教育論、コミュニケーションのあり方等々に普遍化されているからです。
この奇妙なタイトルの「不実な美女」とは、整っていて美しいが原文に忠実でない訳文のこと、「貞淑な醜女」とは、原文に忠実だがぎこちない訳文のこと。そもそも完璧に言葉を置き換えるのは無理、どちらをとるかはケースバイケース、例えば・・・・と続く章のほか、通訳者はなぜあらゆる分野に対応できるのか、その記憶力の秘密とは、通訳・翻訳者に向く性格とは、その国でしか通じない駄洒落を訳すコツは・・・・など、様々な切り口で通訳の難しさと醍醐味を教えてくれます。
言葉を駆使する能力に長けるとは、要するに人間理解の達人であることのようです。著者は「通訳になるにはどれくらいの語学力が必要か」と尋ねられるたびに答えたそうです。「小説が楽しめるぐらいの語学力ですね。外国語だけでなく、日本語でも」。
「書評は閉じよ、本を開け」と言った人がいるそうですが、書評本を読むのも楽しいものです。知らない本に手を延ばすきっかけになるだけでなく、こんな読み方もあるのかと目から鱗が落ちることしばしば、また、本を語っている評者が自らを語ってしまう面白さがあります。
本書は『週刊文春』に連載した「読書日記」ほか、亡くなるまでの10年間に執筆した書評を集めたもの。「食べるのと歩くのと読むのは、かなり早い」という著者は、1日平均7冊もの本を読んでいたそうですが、その集中力と記憶力には舌を巻きます。
著者が辛口の時評や悲憤慷慨を交えつつ読み解く140編の書評は、国際情勢から歴史もの(イラク戦争が激化する以降は戦争や民族問題が圧倒的に多い)、古典文学から現代小説、科学ものから食・福祉・環境問題・・・・と様々な分野に及びます。
最期の「読書日記」には、「癌治療本を我が身を以って検証」と題して、藁をも掴む気持ちで読んだ本を書評の俎上に載せ、代替療法に体当たりした経過が綴られています。またこの時期「人生の時間がカウントダウンに入った」ことを自覚しながら、『パンツの面目 ふんどしの沽券』や『必勝小咄のテクニック』など、いつもの笑いをふんだんに盛り込んだ本を上梓しています。
これまで、アメリカにおける核廃棄物の処理施設は、先住民の居留地に建設されてきました。つまり連邦政府は、かつて500を超える多様な部族を一からげに「インディアン」と称して追いやった「辺境」の地に、今日核のゴミを捨てているのです。フィールドワークを通して、著者は「辺境」に生きる先住民たちの処理施設建設をめぐる運動を明らかにしているのですが、その実態は「核を押し付けようとする政府」対「無力な先住民」というような単純なものではありません。部族大統領の独裁的なリーダーシップにより、居留地の経済効果を狙って処理施設の建設を推進するメスカレロアパッチ族と、先祖より伝わる土地信仰を守るため建設反対運動を展開する部族連合体。さらに、複数の部族間にも、また一つの部族内にも賛成派と反対派の対立があります。本書は、アメリカの社会と地理に根付く人種差別の構造の中で、社会的弱者である先住民にも主権を獲得するための戦略があり、そしてその戦いがとても複雑なものであることを見せてくれます。本書と併せて、著者のパートナーの石山徳子氏の著書『米国先住民族と核廃棄物―環境正義をめぐる闘争』(明石書店)もお薦めします。
学生時代、読書嫌いを変えてくれたハリウッド映画のような小説。活字の苦手な人は、まずは就寝前の安眠剤として読み始めてみてください。あなたがアーチャ・ファンに変わるのに多くの時間はかからないでしょう。
場所と境遇を違えて生まれた二人の物語。片やポーランド片田舎の私生児、片やボストンの名門銀行家の御曹子。この二人が皮肉な出会いと成功を通じて、第一次世界大戦からベトナム戦争中のアメリカを振り返る小説アメリカ現代史。
色々な要素を持つ作品で、収容所小説、企業の内幕ストーリー、戦争文学、復讐物語、恋愛物語など、長編小説一冊を費やして描かれるべきテーマがいくつも盛り込まれている。
英文タイトルは"The people of the abyss"。"Abyss"は、深海とか深淵。陸の上に住んでいるのに海底のさらにさらに奥深い所に暮らす人びとって…。時代は1902年、世界一の繁栄を手に入れ"黄金時代"といわれた大英帝国、ロンドンのイーストエンドで暮らす人びとの生活を、実際に生活をともにしながら書いたルポルタージュです。ちょうどこの時期、イギリスでは貧困調査がおこなれ、社会問題として貧困が大きく取り上げられます。こうした実態から社会保障制度の必要性が意識され、制度構築の一歩が築かれました。「5人で千人分のパンが作れるのに何百万人もが飢えているとしたら、この大所帯の切り盛りの仕方に誤りのあることを否定するのは不可能であろう」、そういった問題の本質は、今の日本にも大いに通じるのではないでしょうか。
たまたま立ち寄った図書館の新刊コーナーで、目をひいた「ヘブンショップ」というタイトル。黒人の子どもがやわらかい表情で空を見上げ、白いはとが飛んでいるやさしい表紙とは裏腹に、アフリカの貧困、エイズの問題を正面から取り上げている児童文学でした。棺おけを作る「ヘブンショップ」というお店を経営する父とその家族の物語。エイズで父を失った主人公が、偏見や貧困と向き合いながら成長していきます。アフリカが抱える問題を子どもの目を通して見ることができると思います。
これは食に関する啓蒙書です。食品添加物について元食品添加物のセールスマンが明らかにしています。虫をすり潰したとか薬品づけにされたとか廃棄寸前とか読みながら目を丸くしっぱなしでした。「安さ、便利さの代わりに私たちは何を失っているのか」という問いはあらゆる物に当てはまると思います。食品はもちろん、商品の裏側で、誰がどんな生活の中で、どんな思いで作っているのか、なぜこんなに安いのか想像することが、知ろうとすることが、いま求められているのだと思います。
この本の帯に「芸術の見方にルールはない!」とあり、本のタイトルが「美術館で愛を語る」である。つまり、美術館鑑賞は美術史を学んだ専門家が行くような敷居の高いところではなく、もっと気軽に作品を楽しみ、美術館を日常の癒しの空間と捉えた著者が、世界的に有名な美術館や穴場的美術館を作品鑑賞だけでなく、近くのレストランやミュジアムショップの利用の仕方など楽しくエッセィ風にまとめた新書本である。外国に行く予定のある人は、この本を参考に予定を立てるのも良いし、行き先を決めるためにもお薦めの一冊です。定価も本体価格780円と手頃感があります。とにかく難しい本ではないので是非手にして欲しいと思います。
数年前に「真珠の耳飾りの少女」という17世紀オランダで活躍した画家フェルメールの物語がベストセラーになり、その本の映画化がされアカデミー賞の候補となりました。その話題性もあり、フェルメールは世界中で再評価されています。フェルメールは、現在確認されている作品数が37点と極めて少なく、その作品は欧米の有名美術館に1〜2点ずつと散在し、それぞれの美術館の目玉となっています。フェルメール展としてまとまって一同に見ることはほぼありえないことです。そこで、フェルメールの作品を全点鑑賞するための美術館ガイドがこの一冊といえます。それぞれの美術館の紹介やフェルメールの作品解説や制作の謎などがわかりやすく書かれています。ヴィジュアル版として全作品がカラー刷りで定価1050円は、学生・職員問わずお薦めしたい本と言えます。
著者は1959年、京都セラミック株式会社(現・京セラ)を設立。社長、会長を経て現在は名誉会長。また、第二電電(現・KDDI)も設立し、現在は最高顧問でもある。
「私たちはいま、混迷を極め、先行きの見えない『不安の時代』を生きています。豊かなはずなのに心は満たされず、衣食足りているはずなのに礼節に乏しく、自由なはずなのにどこか閉塞感がある。やる気さえあれば、どんなものでも手に入り何でもできるのに、無気力で悲観的になり、なかには犯罪や不祥事に手を染めてしまう人もいます。(中略)そういう時代にもっとも必要なのは、『人間は何のために生きるのか』という根本的な問いではないかと思います。−プロローグより」
なんで女性はお化粧したりおめかししたりするんだろう? 18世紀のヨーロッパの男性なんて、カツラかぶって髪に金粉をはたいたりして外出していたのに、なんで今の男性はしないんだろう? 著者は、女性がお化粧するのは、決して男性のためじゃないよという、女性にとっては当たり前のことを指摘してくれます。自分に気持ちいいからやってるんだよ、って。でも、自分のためにやっていることが、時に面倒になったり、体や肌によくなかったりするっていうのも、それはそれで困ったことで……。この辺の事情はどうなってるのか、この本を読むと納得できます。
著者は東京都で労働相談に長年にわたって携わってきた専門家です。《セクハラは女性問題ではなくて、男性問題だ! なぜなら、問題を起こしているのは自分の性的な行動をコントロールできない男性の側だからだ》というのが、この本の結論。セクハラの告発は加害者とされる男性に対する人権侵害だ、なんていう所謂「人権派」の人たちの主張は、自分の行動の加害者性を自覚できない男性の幼稚な発言である、と著者は言います。女性と男性が同じ教室で学び、同じ職場で仕事をするようになって、女性からの異議申し立てが起こってきました。これまではそんなことに気づかないでも通ってきたのだけれど、もうそれは通用しないし、自分たちの行動に自覚的になって、責任を持たなくてはならないのに、男性には一般にそれが理解できません。男性が壊れ始めています。壊れ始めた自分たちをどうするのか、男性に突きつけられた課題です。
人気お笑いコンビ「爆笑問題」太田光氏と人類学者中沢新一氏の対談。日本国憲法を無邪気な理想論、日米の奇蹟の合作として捉え、「憲法九条を世界遺産にするということは、人間が自分自身を疑い、迷い、考え続ける一つのヒントである」と語っている。また、現代人の感性の鈍化、想像力の欠如についても触れている。何かを見て、聞いて、深く感動する心がないと、日本は駄目になっていくかも・・・。憲法九条を守るべきか?日本国憲法の価値は?など難しくてわからない、と思っている人でも、是非これを読んで考えるきっかけを作ってください。そして、自分自身で迷い、考え続けてください。
昨年亡くなった灰谷さんの代表作。安部総理の下に「教育大改革」が進められている現在、一人でも多くの国民に読んでほしい本です。人の心をあたたくし、真の教育とは何なのかということを深く考えさせてくれます。
「夜回り」という深夜パトロールを行いながら、子どもたちと長い間向き合ってきた水谷先生。今、彼の下に心に悩みを持つ若者から多くの相談メールが届いていますが、この本を読むことで、なぜ子どもたちが水谷先生に「心をひらく」のかがよくわかります。自分だけで悩まないで、ぜひこの本を読んでほしいです。
日本人は、<死><遺体><霊>をどのように認識してきたのだろうか。古来、<死者>という存在を信じ、それに語りかけ働きかけることによってその<霊>を祀ってきたが、現在伝統的な死者儀礼はほとんど見られなくなっている。さまざまな死のかたちや死への慣れ親しみ、また死者とは何者かを問い、さらに兵士の慰霊のかたちから靖国神社の問題にも踏み込んでいる本である。資料や調査から得た、死が政治性を帯びることの日本的なあり様あるいは死の政治文化を、文化人類学者である著者が興味深くまとめたものである。
世界史に大きな足跡を残したエカテリーナ二世の人物像を見直す「女帝のロシア」(小野理子、岩波新書)は、どこでもドアのかぎ第9号でおすすめしていますが、その本を手にしてロシアを旅する山口智子が、この本の主役のひとりです。そして、豊かな学識でロシア文学を読み解く研究者と、元(?)トレンディ女優とが、エカテリーナについて語り合うのですが、ふたりが彼女に向けるまなざしには、深い理解と共感が込められていて、18世紀の女帝が一人の女性として生き生きとよみがえり、語らいの場に加わっているようにさえ感じさせてくれます。
アメリカの作家トルーマン・カポーティの短編集。孤独な人間の妄執と悪夢を描いた短編とアラバマでの子ども時代を回想した心温まる作品が収録されています。後者のヒューマンなタッチも捨てがたいですが、やはり前者の作品群の魅力は圧倒的です。ニューヨークに暮らす都市生活者の孤独な内面が都市の風景と溶け合い、世界が静かに美しく狂っていく様がそれは見事に描かれています。テイストは、サリンジャーの『九つの物語』に近いですが、サリンジャーに比べると、カポーティはもっとシュールでパラノイアです。「外に出ると、夕闇が青い雪片のように空から落ちてきた。」なんて、なかなか書けるものではありません。川本三郎さんの訳も秀逸です。
昨今ジェンダーをめぐる議論がかまびすしい。しかし、誤解と偏見に満ちた意見や見当はずれの意見も少なくない。斜め読みできる本ではないが、根本にもどってジェンダーについて考えてみたい人に本書をお勧めする。