新潟県立大学国際地域学部 石川研究室 先週のお言葉

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PHILOSOPHISCHE STUDIEN:
ISHIKAWA-Seminal (Philosophy, Ethics, Aesthetics)


2013年9月10日〜

9月2日もサーバーにアクセスできなくてお休み。今週は火曜日からの掲載です。

家、家にあらず。次ぐをもて家とす。人、人にあらず。知るをもて人とす。
---(継がなければ家元制度は崩れる、ということですね。でも、人である以上、「知る」のをやめるわけにはいかないですねえ。)---

世阿弥『風姿花傳 第七 別紙口傳』

2013年8月26日〜

12日〜/19日〜はお休みでした(サーバーにアクセスできなかったため)

また、老人の、花はありて年寄と見ゆるる口傳と云うは、まづ、善悪、老じたる風情をば、心にかけまじきなり。そもそも、舞・働きと申すは、萬に、樂の拍子に合はせて、足を踏み、手を指し引き、振り・風情を拍子に當ててするものなり。年寄りぬれば、その拍子の當て所、太鼓・歌・鼓の頭よりは、ちちと遅く足を踏み、手をも指し引き、およその振り・風情をも、拍子に少し遅るるやうにあるものなり。この故實、何よりも、年寄の形木なり。このあてがひばかりを心中に持ちて、その外をば、ただ、世の常に、いかにもいかにも花やかにすべし。まづ、假令も、年寄の心には、何事をも若くしたがるものなり。さりながら、力なく、五體も重く、耳も遅ければ、心はゆけども、振舞の叶はぬなり。この理を知る事、まことの物まねなり。態をば、年寄の望みの如く、若き風情をすべし。これ、年寄の、若き事を羨める心・風情を學ぶにてはなしや。年寄は、いかに若振舞をすれども、この拍子に遅るる事は、力なく、叶はぬ理なり。年寄の若振舞、珍しき理なり。老木に花の咲かんが如し。

世阿弥『風姿花傳 第七 別紙口傳』

2013年8月5日〜

物まねに、似せぬ位あるべし。物まねを極めて、その物にまことに成り入りぬれば、似せんと思ふ心なし。さるほどに、面白き所ばかりを嗜めば、などか花なかるべき。例えば、老人の物まねならば、得たらん上手の心には、ただ、素人の老人が、風流・延年などに身を飾りて、舞ひかなでんが如し。もとより、己が身が年寄ならば、年寄に似せんと思ふ心あるべからず。ただ、その時の物まねの人體ばかりをこそ嗜むべけれ。

世阿弥『風姿花傳 第七 別紙口傳』

2013年7月29日〜

この口傳に、花を知る事、先づ、假令、花の咲くを見て、萬に花と喩へ始めし理を辨ふべし。そもそも、花と云ふに、萬木千草において、四季折節に咲く物なれば、その時を得て珍しき故に、翫ぶなり。申楽も、人の心に珍しきと知る所、即ち面白き心なり。花と、面白きと、珍しきと、これ三つは、同じ心なり。いづれの花か散らで殘るべき。散る故によりて、咲く比あれば、珍しきなり。能も住する所なきを、先づ、花と知るべし。住せずして、餘の風體に移れば、珍しきなり。

世阿弥『風姿花傳 第七 別紙口傳』

2013年7月22日〜

風情を博士にて音曲をする爲手は、初心の所なり。音曲より働きの生ずるは、劫入りたる故なり。音曲は聞く所、風體は見る所なり。一切の事は、謂はれを道にしてこそ、萬の風情にはなるべき理なれ。謂はれを現はすは、言葉なり。さるほどに、音曲は體なり、風情は用なり。しかれば、音曲より働きの生ずるは順なり。働きにて音曲をするは、逆なり。諸道・諸事において、順・逆とこそ下るべけれ。逆・順とはあるべからず。返す返す、音曲の言葉の便りをもて、風體を彩り給ふべきなり。これ、音曲・働き、一心になる稽古なり。

世阿弥『風姿花傳 第六 花修云』

2013年7月15日〜

心地含諸種 普雨悉皆萌 頓悟花情已 菩提果自成

六祖 慧能禅師
世阿弥『風姿花傳 第三 問答條々』


2013年7月8日〜

問。常の批判にも、萎れたると申す事あり。いかやうなる所ぞや。 答。これは悉くに記すに及ばず。その風情現はるまじ。さりながら、正しく、萎れたる風體はあるものなり。これも、ただ、花によりての風情なり。よくよく案じて見るに、稽古にも振舞にも及び難し。花を極めたらば知るべきか。されば、遍ねく物まねごとに無しとも、一方の花を極めたらん人は、萎れたる所をも知る事あるべし。しかれば、この萎れたると申す事、花よりもなお上の事にも申しつべし。花無くては、萎れ所無益なり。それは濕りたらるになるべし。花の萎れたらんこそ面白けれ、花咲かぬ草木の萎れたらんは、何か面白かるべき。されば、花を極めん事一大事なるに、その上とも申すべき事なれば、萎れたる風體、返す返すも大事なり。さるほどに、譬にも申し難し。

世阿弥『風姿花傳 第三 問答條々』


2013年7月1日〜

先づ、稽古の劫入りて、位のあらんは、常の事なり。また、生得の位とは、長(たけ)なり。かさと申すは別の物なり。多く、長とかさとを同じやうに思ふなり。かさと申すは、ものものしく、勢のある形なり。また云はく、かさは一切に亙る儀なり。位・長は別の物なり。例へば生得幽玄なる所あり。これ、位なり。しかれども、さらに幽玄にはなき爲手の、長のあるもあり。これは、幽玄ならぬ長なり。また初心のひと、思ふべし。稽古に位を心がけんは、返す返す叶ふまじ。位はいよいよ叶はで、あまつさへ、稽古しつる分も下がるべし。所詮、位・長とは、生得の事にて、得ずしては大方叶ふまじ。また、稽古の劫入りて、垢落ちぬれば、この位、自れと出で來る事あり。稽古とは、音曲・舞・働き・物まね、かやうの品々を極むる形木なり。

世阿弥『風姿花傳 第三 問答條々』


2013年6月24日〜

よくよく公案して思へ。上手は下手の手本、下手は上手の手本なりと工夫すべし。下手のよき所を取りて、上手の物數に入るる事、無上至極の理なり。

世阿弥『風姿花傳 第三 問答條々』


2013年6月17日〜

そもそも、上手にもわろき所あり。下手にも、よき所必ずあるものなり。これを見る人も無し。主も知らず。上手は、名をョみ、達者に隠されて、わろき所を知らず。下手は、もとより工夫なければ、わろき所をも知らねば、よき所のたまたまあるをも瓣へず。されば、上手も、下手も、互ひに人に尋ぬべし。さりながら、能と工夫を極めたらんは、これを知るべし。

世阿弥『風姿花傳 第三 問答條々』


2013年6月10日〜

これこそ、先に申しつる、三十以前の時分の花なれ。古き爲手は早や花失せて、古様なる時分に、珍しき花にて勝つ事あり。眞實の目利きは見分くべし。さらば、目利き、目利かずの、批判の勝負になるべきか。さりながら、様あり。五十以来まで花の失せざらんほどの爲手には、いかなる若き花なりとも、勝つ事はあるまじ。ただ、これ、よきほどの上手の、はなの失せたる故に、負くる事あり。いかなる名木なりとも、花の咲かぬ時の木をや見ん、犬櫻の一重なりとも、初花色々と咲けるをや見ん。かやうの譬へを思ふ時は、一旦の花なりとも、立合に勝つは理なり。されば、肝要、この道は、ただ、花が能の命なるを、花の失するをも知らず、本の名望ばかりをョむ事、古き爲手の、返す返す誤りなり。

世阿弥『風姿花傳 第三 問答條々』


2013年6月3日〜

樹を隠すには森の中 人を隠すには人の中

白土三平『カムイ伝』の中のどこか。


2013年5月27日〜

Quandoque bonus dormitat Homerus.
善きホメロスもときには居眠りをすることもある(弘法も筆の誤り)。

ローマの格言


2013年5月20日〜

ひとびとはよく法的な(したがって外的な)自由を、他人に不法さえ行わなければ、欲するすべてのことを行うことができる、という権能によって定義するが、しかし法的自由はこのように定義されることはできない。いったい権能とはなんであろうか。それによって他人に不法を行わないかぎりでの行為の可能性である。したがって、説明は次のようになろう。自由とは、それによって他人に不法を行わない行為の可能性である。他人に不法さえ行わなければ、(どのようなことを行うにしても)他人に不法を行わない。したがってこれは、空虚な同語反復にすぎない。――私の外的(法的)自由は、むしろ次のように説明されるべきであろう。すなわちそれは、私が同意することができた外的法則のみにしたがい、それ以外の外的法則にはしたがわない、という権能である。

カント『永遠平和のために』第二章第一確定条項 注


2013年5月13日〜

されば、古きを學び、新しきを賞するなかにも、全く、風流を邪にすることなかれ。ただ、言葉賤しからずして、姿幽玄ならんを、承けたる達人とは申すべきか。先づ、この道に至らんと思はん者は、非道を行ずべからず。ただし、歌道は風月延年の飾りなれば、もつともこれを用ふべし。およそ、若年より以来、見聞き及ぶところの稽古の條々、大概注し置くところなり。
一、好色・博奕・大酒、三重戒、これ古人の掟なり。
一、稽古は強かれ、諍識はなかれとなり。

世阿弥『風姿花傳 序』


2013年5月6日〜

一、祕する花を知る事。祕すれば花なり、祕せずば花なるべからず、となり。

世阿弥『風姿花傳 第七 別紙口傳』


2013年4月29日〜

亡父にて候ひし者は、五十二と申しし五月十九日に死去せしが、その月の四日の日、駿河の國淺間の御前にて法楽仕り。その日の申樂、殊に花やかにて、見物の上下、一同に褒美せしなり。およそ、その比、物數をば早や初心に譲りて、やすき所を少な少なと色へてせしかども、花はいら揩オに見えしなり。これ、誠に得たりし花なるが故に、能は枝葉も少く、老木になるまで、花は散らで殘りしなり。これ、目のあたり、老骨に殘りし花の證據なり。

世阿弥『風姿花傳 第一 年來稽古條々』


2013年4月22日〜

されば、時分の花を誠の花と知る心が、眞實の花になほ遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷ひて、やがて、花の失するをも知らず。初心と申すはこの比の事なり。

世阿弥『風姿花傳 第一 年來稽古條々』


2013年4月15日〜

SO IF TROLLERYS AND RUNABOUTS AND FRIENDS AND NEAR FRIENDS CAN GO AWAY FOR A WHILE OR GO AWAY FOREVER, OR RUST, OR FALL APART OR DIE, AND IF SOMEOEN LIKE GREAT-GRANDMA, WHO WAS GOING TO LIVE FOREVER, CAN DIE . . . I, DOUGLAS SPAULDING, SOME DAY . . . MUST . . .
それ故に、市街電車や小型自動車や友だちや親友が、しばらくいなくなるか、永久にいなくなってしまい、あるいはさびつき、あるいはバラバラに壊れたり、死んだりするものならば、また人々が殺害されたり、大おばあちゃんのような、いつまでも生きつづけるような人が、死ぬことがあるものならば……もしこれが全部真実であるならば……それならば……ダグラス・スポールディングも、いつか……きっと!

Ray Bradbury: Dandelion Wine, Bantam Books (1985), p.186. 北山克彦訳『たんぽぽのお酒』晶文社(1997)、p.309f.


2013年4月8日〜

YOU CAN'T DEPEND ON PEOPLE
BECAUSE …
… they go away.
… strangers die.
… people you know fairly well die.
… friends die.
… people murder people, like in books.
… your own folks can die.
人は当てにできない。なぜなら……
……行ッテシマウカラ。
……見知ラヌ人ガ死ヌカラ。
……カナリヨク知ッテイル人々ガ死ヌカラ。
……友ダチガ死ヌカラ。
……人ハ人ヲ殺害スルカラ、本ノ中ノヨウニ。
……家族ノ者モ死ヌコトガアルカラ。

Ray Bradbury: Dandelion Wine, Bantam Books (1985), p.186. 北山克彦訳『たんぽぽのお酒』晶文社(1997)、p.309.


2013年4月1日〜

YOU CAN'T DEPEND ON THINGS
BECAUSE …
… like mochines, for instnce, they fall apart or rust or rot, or maybe never get finished at all … or wind up in garages …
… like tennis shoes, you can only run so far, so fast, and then the earth's got you again …
… like trolleys. Trolleys, big as they are, always come to the end of the line …
物は当てにできない。なぜなら……
……例エバ、機械(ましん)ノヨウニ、バラバラニ壊シタリ、錆ビツイタリ、腐ッタリスルシ、アルイハモシカシテ決シテ完成スルコトガナイカモシレズ……アルイハがれーじニシマイコマレテ終ワリニナリ……
……てにす靴ノヨウニ、トテモ遠クマデ、トテモ速ク、走ルコトダケハ出来ルケレド、ソレカラマタフタタビ大地ニツカマルノダ……
……市街電車ノヨウニ。市街電車ハ、大キイケレドモ、イツモ終点ニ来テシマウ……

Ray Bradbury: Dandelion Wine, Bantam Books (1985), p.186. 北山克彦訳『たんぽぽのお酒』晶文社(1997)、p.308f.


2013年3月18日〜

Aquia non captat muscam.
鷲はハエなんか捕まえない。

ローマの格言


2013年3月11日〜

ベンセレーモス:我等は勝利する (Venceremos)
詞:クラウディオ・イトゥラ
曲:セルヒオ・オルテガ


祖国の大地深く 叫びがわき起こる
夜明けが告げられて チリ人民は歌う
勇敢な戦士を 我々は思い起こし
祖国を裏切るより 我らは死を選ぶ

ベンセレモス ベンセレモス 鎖を断ち切ろう
ベンセレモス ベンセレモス 苦しみを乗り越えよう
ベンセレモス ベンセレモス 鎖を断ち切ろう
ベンセレモス ベンセレモス 苦しみを乗り越えよう


祖国の労働者よ 祖国の婦人もまた
学生よ農民よ 我らとともに進もう
血塗られた祖国を 慈しみ守り
銃剣の前に 我らは胸を張る

ベンセレモス ベンセレモス 鎖を断ち切ろう
ベンセレモス ベンセレモス 苦しみを乗り越えよう
ベンセレモス ベンセレモス 鎖を断ち切ろう
ベンセレモス ベンセレモス 苦しみを乗り越えよう


2013年3月4日〜

……
ジョバンニはああと深く息しました。「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。「けれどもほんとうのさいわいは一体なんだろう。」ジョバンニが云いました。「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
……

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より抜粋


2013年2月25日〜

秋の愁嘆
中原中也

あゝ、秋が来た
眼に琺瑯の涙泌む。
あゝ、秋が来た
胸に舞踏の終わらぬうちに
もうまた秋が、おぢやつたおぢやつた。
野辺を 野辺を 畑を 町を
人達を蹂躙に秋がおぢやつた。

その着る着物は寒冷紗
両手の先には 軽く冷い銀の玉
薄い横皺平らなお顔で
笑へば籾殻かしやかしやと、
へちまのやうにかすかすの
悪魔の伯父さん、おぢやつたおぢやつた。


2013年2月18日〜

雪が降つてゐる……
中原中也

雪が降つてゐる、
とほくを。
雪が降つてゐる、
とほくを。
捨てられた羊かなんぞのように
とほくを、
雪が降つてゐる、
とほくを。
たかい空から、
とほくを、
とほくを
とほくを、
お寺の屋根にも、
それから、
お寺の森にも、
それから、
たえまもなしに。
空から、
雪が降つてゐる
それから、
兵営にゆく道にも、
それから、
日が暮れかゝる、
それから、
喇叭がきこえる。
それから、
雪が降つてゐる、
なほも。


2013年2月11日〜

少年時
中原中也

黝(あをぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。

地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆のやうだつた。

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。

翔びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午過ぎ時刻
誰彼の午睡するとき、
私は野原を走つて行つた……

私は希望を唇に?みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!


2013年2月4日〜

Setze den Menschen als Menschen und sein Verhältnis zur Welt als ein menschliches voraus, so kannst du Liebe nur gegen Liebe austauschen, Vertrauen nur gegen Vertrauen etc. Wenn du die Kunst genießen willst, mußt du ein künstlerisch gebildeter Mensch sein; wenn du Einfluß auf andre Menschen ausüben willst, mußt du ein wirklich anregend und fördernd auf andere Menschen wirkender Mensch sein. Jedes deiner Verhältnisse zum Menschen - und zu der Natur - muß eine bestimmte, dem Gegenstand deines Willens entsprechende Äußrung deines wirklichen individuellen Lebens sein. Wenn du liebst, ohne Gegenliebe hervorzurufen, d.h., wenn dein Lieben als Lieben nicht die Gegenliebe produziert, wenn du durch deine Lebensäußrung als Hebender Mensch dich nicht zum geliebten Menschen machst, so ist deine Liebe ohnmächtig, ein Unglück.
人間を人間として、人間の世界に対する関わりを人間的な関わりとして前提してみたまえ。そうすれば、愛はただ愛とのみ、信頼はただ信頼とのみ等々交換できるということがわかるだろう。君が芸術を享受したいのなら、君は芸術的に教養形成された人間でなくてはならない。君が他人に影響を与えたいのなら、君は現実に他人を鼓舞し、他人を動かすよう働きかける人間でなくてはならない。人間に対する君のあらゆる関わりは――そして自然に対するかかわりもまた――君の現実的で個性的な生の一定の表現、君の意思の対象に相応した表現でなくてはならない。君が君の恋人からの愛を得ることなく愛するのなら、君が恋する人間としての君の愛の表現を通して、君自身を愛される人間とすることがなかったのならば、君の愛は無力であり、一つの不幸である。

Marx: Ökonomisch-philosophische Manuskripte aus dem Jahre 1844. MEW Bd. 40, S. 567)
カール・マルクス『経済学哲学手稿』(『マルクス・エンゲルス全集』第40巻567ページ)


2013年1月28日〜

麻浴山宝徹禅師、あふぎをつかうちなみに、僧きたりてとふ、「風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかう」。
師いはく、「なんぢたゞ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずということなき道理をしらず」と。
僧いはく、「いかならむかこれ無処不周底の道理」。
ときに、師、あふぎをつかふのみなり。
僧、礼拝す。

仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかうべからず、つかはぬおりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆへに、仏家の風は、大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり。

道元『正法眼蔵』「現成公按」(岩波書店『日本思想体系12』「道元 上」(1982)36ページ)


2013年1月21日〜

うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらをとぶに、とぶといえどもそらのきはなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。只用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。かくのごとくして、頭々に辺際をつくさずという事なく、処々に踏飜せずということなしといへども、鳥もしそらをいづればたちまちに死す、魚もし水をいづればたちまちに死す。以水為命しりぬべし、以空為命しりぬべし。以鳥為命あり、以魚為命あり。以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修証あり、その寿者命者あること、かくのごとし。

道元『正法眼蔵』「現成公按」(岩波書店『日本思想体系12』「道元 上」(1982)37-38ページ)


2013年1月14日〜

人、はじめて法をもとむるとき、はるかに法の辺際を離却せり。法すでにをのれに正伝するとき、すみやかに本分人なり。
人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につくれば、ふねのすゝむをしるがごとく、身心を乱想して万法を?肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。もし行李をしたしくして箇裏に帰すれば、万法のわれにあらぬ道理あきらけし。

道元『正法眼蔵』「現成公按」(岩波書店『日本思想体系12』「道元 上」(1982)36ページ)


2013年1月7日〜

仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするゝなり。自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり。万法に証せらるゝといふは、自己の身心をよび他己の身心をして脱落(とつらく)せしむるなり。悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長々出ならしむ。

道元『正法眼蔵』「現成公按」(岩波書店『日本思想体系12』「道元 上」(1982)36ページ)


2012年12月17日〜

No way has yet been invented to say good-bye to them.
警官にさようならを言う方法はいまだに発明されていない。

"The Long Goodbye" (1953) chap. 53, by Raymond Chandler


2012年12月10日〜

You can't run away from yourself.
誰も自分自身からは逃げられない。

"Playback" (1958) chap. 4, by Raymond Chandler


2012年12月3日〜

The French have a phrase for it. The bastards have a phrase for everything and they are always right.
To say good-bye is to die a little.
フランス人は良い言い回しを知っている。連中はどんな時だって気の利いたことを言う。そしてそれがいつだって当たっているんだ。
さよならを言うのはほんの少しの間死ぬことだ。

"The Long Goodbye" (1953) chap. 50, by Raymond Chandler


2012年11月26日〜

'There ain't no clean way to make a hundred million bucks,' Ohls said.
「一億の金を作るのに、きれいなやりかたなんざあ、あるもんじゃねえよ」とオールズは言った。

"The Long Goodbye" (1953) chap. 39, by Raymond Chandler


2012年11月19日〜

He reached up and took the dark glasses off. Nobody can change the colour of a man's eyes.
'I suppose it's a bit too early for a gimlet,' he said.
彼は手を上げてサングラスをはずした。だれも自分の瞳の色は変えられない。
「ギムレットにはまたちょっと早すぎるね」と彼は言った。

"The Long Goodbye" (1953) chap. 52, by Raymond Chandler


2012年11月12日〜

'Use your pride on it'.
「飲むんならプライドを持って飲みたまえ」

"The Long Goodbye" (1953) chap. 2, by Raymond Chandler


2012年11月5日〜

'Skip it. I know. Marlowe knows everything - exept how to make a decent living.'
「その話はやめてくれ。私は知っている。マーローは何でも知ってるんだ――まともな暮らしをする方法以外はね」

"The High Window" (1942) chap. 31, by Raymond Chandler


2012年10月29日〜

'Haw can such a hard man be so gentle?' she asked wonderingly.
'If I wasn't hard, I Wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.'
「そんなにタフなあんたが、何でそんなに優しいの?」彼女は驚いて言った。
「タフじゃなくちゃあ、生きてはいけない。やさしくなくちゃあ、生きるに値しない」

"Playback"(1958) chap. 25, by Raymond Chandler


2012年10月22日〜

Trouble is my Business
<揉め事がおいらの仕事>
よろず相談事引き受け
海老ケ瀬言訳商会

by Raymond Chandler


2012年10月15日〜

……
まだまだ前夜だ。流れ入る生気とまことの温情とは、すべて受けよう。暁が来たら俺たちは、燃え上る忍辱の鎧を着て、光りかがやく街々に入ろう。 ……

アルチュール・ランボオ(小林秀雄訳)『地獄の季節』「別れ」より 岩波文庫51ページ


2012年10月8日〜

Solidaritätslied
連帯の歌
Text von B. Brecht, Musik von H. Eisler
詩:ベルトルト・ブレヒト 音楽:ハンス・アイスラー

Vorwärts und nicht vergessen
前進だ! そして忘れるな
Worin unsre Stärke besteht!
俺たちの力の所以を!
Beim Hunger und beim Essen
飢えても食えても
Vorwärts, nicht vergessen
前進だ そして忘れるな
Die SLIDARITÄT!
連帯を!


2012年10月1日〜

Dunkel ist das Leben, ist der Tod.
生も暗く、死もまた暗し

グスタフ・マーラー『交響曲 大地の歌』第一楽章「大地の悲愁を憂うる酒の歌」
テキスト:ハンス・ベートゲによる李白の詩のドイツ語訳


2012年9月24日〜

春の朝
ロバアト・ブラウニング
上田敏訳

時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。


2012年9月17日〜

仏陀臨終の言葉

そこで尊師は修行僧たちに告げた。――
「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい』と。」
これが修行をつづけて来た者の最後のことばであった。
解説:葬式なんかしてる暇があったら修行しなさい!

大パリニッバーナ経(大涅槃経)第6章第7節(岩波文庫『ブッダ最後の旅』中村元訳 158ページ)


2012年9月10日〜

仏陀の臨終を前にした仏弟子アーナンダの問い

「尊い方よ。修行完成者のご遺体に対して、われわれはどのようにしたらよいのでしょうか?」
「アナーンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ。……」
解説:仏陀は葬儀と遺体崇拝を禁止しています。仏教徒は葬式をしたり、戒名をつけたり、お墓参りをしたりしてはいけません。葬式なんかしてる暇があったら修行しなさい!

大パリニッバーナ経(大涅槃経)第5章第10節(岩波文庫『ブッダ最後の旅』中村元訳 131ページ)


2012年9月3日〜

人間は、天使でも、獣でもない。そして、不幸なことには、天使のまねをしようとおもうと、獣になってしまう。

ブレーズ・パスカル『パンセ』ブラウンシュヴィック版358節(原稿427)


2012年8月27日〜

人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかでも最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。

ブレーズ・パスカル『パンセ』ブラウンシュヴィック版347節(原稿63前半)


2012年8月20日〜

私はデカルトを許せない。彼はその全哲学のなかで、できることなら神なしですませたいものだと、きっと思っただろう。しかし、彼は、世界を動きださせるために、神に一つ爪弾きをさせないわけにはいかなかった。それからさきは、もう神に用がないのだ。

ブレーズ・パスカル『パンセ』ブラウンシュヴィック版77節


2012年8月13日〜

自己愛
自己愛とこの人間の「自我」との本性は、自分だけを愛し、自分だけしか考えないことにある。――中略――たしかに、欠陥に満ちていることは、悪いことである。しかし、欠陥に満ちていながら、それを認めようとしないのは、なおもっと悪いことである。

ブレーズ・パスカル『パンセ』ブラウンシュヴィック版100節


2012年8月6日〜

君は人からよく思われたいと望んでいるのか。それなら、そのことを自分で言ってはいけない。

ブレーズ・パスカル『パンセ』ブラウンシュヴィック版44節(原稿423)


2012年7月30日〜


近世の課題は、神の現実化と人間化――神学の人間学への転化と解消であった。

この人間化の宗教的あるいは実践的な仕方が、プロテスタンティズムであった。まさに人間であるような神、すなわち人間的な神、したがってキリスト――これのみがプロテスタンティズムの神である。プロテスタンティズムはもはや、カトリシズムのように、神がそれ自身何であるかを心にかけず、それが人間にとってなんであるかを問題とする。だからそれは、もはや後者のように思弁的、すなわち観想的傾向をもっていない。それはもう神学ではなく――本質的にキリスト論、すなわち宗教的人間学にすぎない。
3
しかしプロテスタンティズムは、神自体、すなわち神としての神を――というのは、神自体であってはじめて本来の神であるから――ただ実践上否定したにすぎず、理論上はそれを存続させていた。神は存在する。しかしただ人間にとっては、言いかえれば宗教的な人間にとっては存在しない。それは彼岸的存在であり、いつかあの天国ではじめて人間にとって対象となる存在である。しかし、宗教の向こう側にあるものは、哲学のこちら側にあるし、前者にとって対象でないものこそ、まさに後者にとって対象である。

宗教にとって彼岸的であり対象的でない神を合理的あるいは理論的に加工し解明したものが、思弁哲学である。

思弁哲学の本質は、合理化され、実現され、現在化された神の本質以外の何ものでもない。思弁哲学は、真の、首尾一貫した、理性的な神学である。

フォイエルバッハ『将来の哲学の根本命題』(1843)松村一人・和田楽訳 冒頭


2012年7月23日〜

LILI MARLEEN
Musik: Norbert Schulze 1937
Lylic: Hans Leip 1915

1. Vor der Kaserne
Vor dem großen Tor
Stand eine Laterne
Und steht sie noch davor
So woll'n wir uns da wieder seh'n
Bei der Laterne wollen wir steh'n
|: Wie einst Lili Marleen. :|

2. Unsere beide Schatten
Sah'n wie einer aus
Daß wir so lieb uns hatten
Das sah man gleich daraus
Und alle Leute soll'n es seh'n
Wenn wir bei der Laterne steh'n
|: Wie einst Lili Marleen. :|

3. Schon rief der Posten,
Sie blasen Zapfenstreich
Das kann drei Tage kosten
Kam'rad, ich komm sogleich
Da sagten wir auf Wiedersehen
Wie gerne wollt ich mit dir geh'n
|: Mit dir Lili Marleen. :|

4. Deine Schritte kennt sie,
Deinen zieren Gang
Alle Abend brennt sie,
Doch mich vergaß sie lang
Und sollte mir ein Leids gescheh'n
Wer wird bei der Laterne stehen
|: Mit dir Lili Marleen? :|

5. Aus dem stillen Raume,
Aus der Erde Grund
Hebt mich wie im Traume
Dein verliebter Mund
Wenn sich die späten Nebel drehn
Werd' ich bei der Laterne steh'n
|: Wie einst Lili Marleen. :|

Englishtransration by Tommie Connor, 1944

1. Underneath the lantern,
By the barrack gate
Darling I remember
The way you used to wait
T'was there that you whispered tenderly,
That you loved me,
You'd always be,
My Lilli of the Lamplight,
My own Lilli Marlene

2. Time would come for roll call,
Time for us to part,
Darling I'd caress you
And press you to my heart,
And there 'neath that far-off lantern light,
I'd hold you tight ,
We'd kiss good night,
My Lilli of the Lamplight,
My own Lilli Marlene

3. Orders came for sailing,
Somewhere over there
All confined to barracks
was more than I could bear
I knew you were waiting in the street
I heard your feet,
But could not meet,
My Lilly of the Lamplight,
my own Lilly Marlene

4. Resting in our billets,
Just behind the lines
Even tho' we're parted,
Your lips are close to mine
You wait where that lantern softly gleams,
Your sweet face seems
To haunt my dreams
My Lilly of the Lamplight,
My own Lilly Marlene


2012年7月16日〜

フランス大革命から223年と2日目

Allons enfants de la Patrie,
いざ祖国の子らよ
Le jour de gloire est arrive.
栄光の日は来たれり


2012年7月9日〜

La Marseillaise
ラ・マルセイエーズ
ルジェ・ド・リール作詞/作曲・吉田進訳

1.
Allons enfants de la Patrie,
いざ祖国の子らよ、
Le jour de gloire est arrive.
栄光の日は来たれり、
Contre nous, de la tyrannie,
我らに向かって、圧政の、
L'étendard sanglant est levé.
血塗られし軍旗は掲げられたり。
L'étendard sanglant est levé.
血塗られし軍旗は掲げられたり。
Entendez-vous, dans les campagnes
聞こえるか、戦場で、
Mugir ces farouches soldats?
あの獰猛な兵士どもが唸るのを?
Ils viennent jusque daus nos bras
奴らは我らの腕の中にまで
Egorger vos fils, vos compagnes.
君らの息子を、妻を、殺しに来る。
Aux armes, citoyens ! Formez vos bataillons !
武器を取れ、市民諸君! 隊伍を整えよ、
Marchons! marchons !
進もう! 進もう、
Qu'un sang impur abreuve nos sillons.
不浄なる血が我らの田畑に吸われんことを。


2012年7月2日〜

Ich bin von Kopf bis Fuß auf Liebe eingestellt
-- aus dem Film "Der blaue Engel"(1930)
Friedrich Holländer
「私はまた恋に落ちたのよ」(映画『嘆きの天使』(1930) 主題歌)

Ich bin von Kopf bis Fuß
頭のてっぺんからつま先まで
Auf Liebe eingestellt,
恋に落ちたわ
Denn das ist meine Welt.
それが私
Und sonst gar nichts.
恋のほかはどうでもいいの
Das ist, was soll ich machen,
恋だけが命
Meine Natur,
それが私の性
Ich kann halt lieben nur
恋することしかできない
Und sonst gar nichts.
あとはどうでもいいの
Männer umschwirr'n mich,
灯りに群れる蛾みたいに
Wie Motten um das Licht.
私に群がる男ども
Und wenn sie verbrennen,
彼らが燃え尽きたところで、
Ja dafür kann ich nicht.
私にはどうもできない
Ich bin von Kopf bis Fuß
頭のてっぺんからつま先まで、
Auf Liebe eingestellt,
恋に落ちたわ
Ich kann halt lieben nur
それが私
Und sonst gar nichts.
恋のほかはどうでもいいの


2012年6月25日〜

我皆令入無餘涅槃而滅度之。如是滅度無量無數無邊衆生。實無衆生得滅度者。何以故。須菩提。若菩薩有我相人相衆生相壽者相。即非菩薩。
「……それらのありとあらゆるものを、わたしは、《悩みのない永遠の平安》という境地に導き入れなければならない。しかし、このように、無数の生きとし生けるものを永遠の平安に導き入れても、実は誰ひとりとして永遠の平安に導き入れられたものはない。」と。
それはなぜかというと、スブーティよ、もしも求道者が、《生きているものという思い》をおこすとすれば、もはやかれは求道者とは言われないからだ。
それはなぜかというと、スブーティよ、誰でも《自我という思い》をおこしたり、《生きているものという思い》や、《個体という思い》や、《個人という思い》などをおこしたりするものは、もはや求道者とは言われないからだ。

金剛般若波羅蜜経 第3節 鳩摩羅什漢訳 中村元・紀野一義邦訳


2012年6月18日〜

"Wachet auf, ruft uns die Stimme"
von Philipp Nicolai (1599)
フィリップ・ニコライ「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」(1599)

Wachet auf, ruft uns die Stimme
目覚めよと呼ばわる物見らの声
Der W?chter sehr hoch auf der Zinne,
高き城壁の上より
Wachet auf, du Stadt Jerusalem!
「目覚めよ、なんじイエルサレム
Mitternacht hei?t diese Stunde;
この真夜中に時は告げられたり」
Sie rufen uns mit hellem Munde:
明らかなる声 我らに告げる
Wo seid ihr klugen Jungfrauen?
「賢き乙女らはいずこに居るや?
Wohl auf, der Br?utigam k?mmt;
今や花婿は来たれり
Steht auf, die Lampen nehmt!
起き上がれ 明かりをかかげて!」
Alleluja!
ハレルヤ!
Macht euch bereit
備えよ
Zu den Hochzeit,
婚礼に
Ihr m?sset ihm entgegen gehen!
花婿を迎えまつれ

Evangelisches Kirchen Gesangbuch, Nr.121福音教会賛美歌集121番
BWV140 J.S.Bach『カンタータ第140番 目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』第一曲


2012年6月11日〜

山中與幽人對酌
李白

兩人對酌山花開
一杯一杯復一杯
我醉欲眠卿且去
明朝有意抱琴來

山中にて幽人と對酌す
李白

兩人對酌すれば山花は開く
一杯一杯 復た一杯
我 醉ひて眠らんとす 卿且らく去れ
明朝 意有らば 琴を抱きて來たれ


2012年6月4日〜

客中行
李白

蘭陵美酒鬱金香
玉椀盛來琥珀光
但使主人能酔客
不知何處是他郷

客中行
李白

蘭陵の美酒 鬱金の香
玉椀 盛り來たる 琥珀の光
但だ主人をして能く客を酔わしめば
知らず 何れの處か 是れ他郷


2012年5月28日〜

子夜呉歌
李白

長安一片月
長安一片の月
萬戸擣衣聲
萬戸衣を擣つの聲
秋風吹不盡
秋風吹きて盡きず
總是玉關情
總て是れ玉關の情
何日平胡虜
何れの日にか胡虜を平らげ
良人罷遠征
良人遠征を罷めん


2012年5月14日〜

はっきり言って恋愛っていうのは一番スムースな取り引きだからね。これをあまりにも功利的な考え方だっていうんなら、こう言い換えてもいい。人間には手が二本あるんだって――もう、こういうことになったらいくらだってロマンチックな比喩は出て来るんだから。 人間ていうのは手を二本持ってる、だから、右手で他人を引っ張り上げれば、今度はその他人から左手を引っ張り上げてもらうことだって出来る。実に抱き合うということはそんなことの結果である、ってね。

橋本治『恋愛論』10つづき


2012年5月7日〜

僕と彼とがおんなじで違ってるっていうのはね、両方とも男で、それぞれに違う男だからっていうのはダメか?(笑)。初恋の"彼"だけどサ。
そうそう見当はずれの話でもないんだけどサ(笑)。俺ってラジカルな人だから、とんでもないところでとんでもない本質っていうのを出して来ちゃうんだけどサ。

橋本治『恋愛論』10


2012年4月23日〜

「かくて明かすべきにや」とて、
はかもなき夢をだに見で明かしては何をかのちのよがたりんせん とのたまえば、
夜とともにぬるとは袖を思ふ身ものどかに夢を見る宵ぞなき まいて」と聞こゆ。「かろがろしき御歩きすべき身にてもあらず。なさけなきやうにはおぼすとも、まことにものおそろしきまでこそおぼゆれ」とて、やをらすべり入り給ひぬ。

【和泉式部日記】


2012年4月16日〜

茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る  額田王
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ戀ひめやも  天智天皇

萬葉集巻之壹


2012年4月9日〜

Janis Joplin
Mercedes Benz

Oh Load won't you buy me
A Mercedes Benz
My friends all drive Porsches
I must make amends
Worked hard all my life time
No help from my friends
So oh Lord won't you buy me
A Mercedes Benz

Oh Load won't you buy me
A color T.V.
"Dialing-for-Dollars"
Is trying to find me
I'll wait for delivery
Each day until three
So oh Lord won't you buy me
A color T.V.

Oh Load won't you buy me
A night on the town
I'm counting on you Load
Please don't let me down
Prove that you love me
And buy the next round
Oh Lord won't you buy me
A night on the town

Oh Load won't you buy me
A Mercedes Benz
My friends all drive Porsches
I must make amends
Worked hard all my life time
No help from my friends
So oh Lord won't you buy me
A Mercedes Benz


2012年3月26日〜

【1871年3月18日 パリ・コミューンの蜂起(3)】
1871年3月29日の布告

パリ・コミューン
現存する唯一の権力であるパリ・コミューンは、以下のごとく布告する。
一、種々の公務員は以後、ヴェルサイユあるいはその同調者から発せられる命令および通達を無効と見なすこと。
二、この政令に従わない官吏あるいは従業員は直ちに解雇されるであろう。 コミューンを代表して
議長 ルフランセ
補佐 ラン、ヴァイヤン

アンリ・ルフェーブル『パリ・コミューン』岩波文庫(下)285ページ


2012年3月19日〜

【1871年3月18日 パリ・コミューンの蜂起(2)】
1871年3月21日、火曜日の官報

3月18日の革命
昨日はまだ世に知られなかったが、やがてその名前は全世界にとどろくであろう無名のプロレタリアは、正義と権利に対する深い愛と、フランスと共和国に対する限りない献身によって鼓舞され、また、あらゆる試練に耐えるこれらの高潔な感情と勇気とに動かされて、侵略にさらされた祖国と脅威をうけている自由を同時に救おうと決意した。これは彼らの同時代人はもとより後世に対する彼らの功績となるだろう。

アンリ・ルフェーブル『パリ・コミューン』岩波文庫(下)191ページ


2012年3月12日〜

【1871年3月18日 パリ・コミューンの蜂起(1)】

人民へ
パリの人民は、自分の上に押しつけられようとした束縛を脱した。冷静で、自らの力を信じて動じない人民は、共和政に手を触れようとした恥知らずな狂人たちを、恐れることなく、挑発にでることもなく待ち受けた。
今度は、われわれの軍隊の兄弟たちが、神聖なわれわれの自由の櫃に手をのばすことを欲しなかった。皆さんに感謝する。そして、パリとフランスがあいともに、あらゆる点において歓迎される共和政の基礎、すなわち侵略と内乱の時代を永久に閉じるであろう唯一の政府を建設することを望む。
戒厳令は解かれた。パリの人民はコミューンの選挙を行うために、地区ごとに召集される。全市民の安全は、国民衛兵の協力によって確保されている。

1781年3月19日、パリ市庁
国民衛兵中央委員会

アンリ・ルフェーブル『パリ・コミューン』岩波文庫(下)134-5ページ


2012年3月5日〜

許されたことは魅力がない。許されないことは欲望をいっそうはげしく燃え立たせる。

オウィディウス『恋愛詩集』2-19-3


2012年2月27日〜

たとえおまえが望むだけ何百年生きえたとしても、永遠の死はやはりその先で待ち構えている。

ルクレティウス『自然について』3-1090〜91


2012年2月20日〜

売春:一回的享楽のためにある人格を賃貸すること(!!)

カント『人倫の形而上学』第一部第二章第二節


2012年2月13日〜

結婚:性を異にする二人の人格が相手の生殖器と性的能力を相互に使用しあう物件的契約(!!)

カント『人倫の形而上学』第一部第二章第二節


2012年2月6日〜

『このマンガがすごい!2012』(宝島社)
話題の作品を一挙ラインナップ
次代を担うニューカマー 堂々の「オンナ編 第59位」!!!
日下直子画伯
『大正 ガールズ エクスプレス』


2012年1月30日〜

永遠平和のための第一確定条件

各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。
第一に、社会の成員が(人間として)自由であるという原理、第二に、すべての成員が唯一で共同の立法に(臣民として)従属することの諸原則、第三に、すべての成員が(国民として)平等であるという法則、この三つに基づいて設立された体制――これは根源的な契約の理念から生ずる唯一の体制であり、この理念に民族の合法的なすべての立法が基づいていなければならないのであるが、こうした体制が共和的である。

カント(宇都宮芳明訳)『永遠平和のために』岩波文庫


2012年1月23日〜

Sail on silvergirl,
sail on by,
Your time has come to shine,
all your dreams are on their way.
See how they shine,
oh, if you need a friend,
I'm sailing right behind,
Like a bridge over troubled water,
I will ease your mind.
Like a bridge over troubled water,
I will ease your mind.

Bridge over Troubled Water (S & G)


2012年1月16日〜

「第32回毎日経済人賞受賞 JR東日本清野智社長」?!
……2012年1月7日毎日新聞……

ふざけんのもいい加減にしましょう、毎日新聞さん!
授賞理由は「東北新幹線を早期に復旧させたから」。ドル箱の東北新幹線だけ復旧させて、常磐線も石巻線も仙石線もほったらかしのJR東日本は立派な会社ですか?。 ほったらかしの理由は、「自治体の復興計画が決まっていないから」。三陸鉄道は被災の数日後には被災を免れた区間の運行を再開しています。賞をだすなら三陸鉄道社長にでしょう。毎日新聞の見識が問われます。
ちなみに、関東大震災のときには、当時の国鉄は被災当日の午後には総武本線亀戸・稲毛間、東北本線川口以北、常磐線金町以北が復旧しています。一部を除き首都圏の国鉄・私鉄は2か月弱で全線が復旧しています。これが公共交通機関の責任というものではありませんか? 今日のJR東日本は、公共交通機関の責務を放棄しています。違いますか?
毎日新聞さん!!
金儲けに走る公共交通機関と、その無責任を見抜けない報道機関に、
喝!


2012年1月6日〜13日

λαθε βιωσας
隠れて生きよ(エピクロス)


2011年12月11日〜

此の世の名残。夜も名残。死に行く身を譬ふれば。あだしが原の道の霜。一足づゝに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の。七つの時が六つなりて残る一つが今生の。鐘の響の聞納め。寂滅為楽と響くなり。
 …… 
誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え。取伝へ貴賤群集の回向の種。未来成仏疑ひなき恋の。手本となりにけり。

近松門左衛門『曽根崎心中』お初徳兵衛道行


2011年12月4日〜

Le Pont Mirabeau
Guillaume Apollinaire

Sous le pont Mirabeau coule la Seine
Et nos amours
Faut-il qu'il m'en souvienne
La joie venait toujours après la peine

Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure

Les mains dans les mains restons face à face
Tandis que sous
Le pont de nos bras passe
Des éternels regards l'onde si lasse

Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure

L'amour s'en va comme cette eau courante
L'amour s'en va
Comme la vie est lente
Et comme l'Espérance est violente

Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure

Passent les jours et passent les semaines
Ni temps passé
Ni les amours reviennent
Sous le pont Mirabeau coule la Seine

Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure

ミラボー橋
堀口大學訳

ミラボー橋の下をセーヌ川が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると

日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る

手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
こうしていると
二人の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる

日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る

流れる水のように恋もまた死んでゆく
恋もまた死んでゆく
命ばかりが長く
希望ばかりが大きい

日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る

日が去り 月がゆき
過ぎた時も
昔の恋も 二度とまた帰ってこない
ミラボー橋の下をセーヌ川が流れる

日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る


2011年11月28日〜

Ich habe Muth und Kraft !
私は勇気も力も持っているぞ!

L. van Beethoven "Fidelio" Op.72
ベートーベン作曲 歌劇『フィデリオ』
……または、1919年ドイツ革命におけるK.リープクネヒト&ローザ・ルクセンブルクのスローガン


2011年11月21日〜

Mache dich, mein Herze, rein,
Ich will Jesum selbst begraben.
Denn er soll nunmehr in mir
Für und für seine süße Ruhe haben.
浄めよわが心
われ自らイエスを葬らんとす
今よりのちイエスはわが内にて
とこしえに甘き憩につかんがため

J. S. Bach "Matth?us-Passion" BWV 244 (NBA 244-65)
マタイ受難曲BWV244第65曲


2011年11月14日〜

Que sais-je ?
私は何を知っているだろうか?

Michel Eyquem de Montaigne (1533-92)の『エセー(随想録Essais)』(1572-88/92)の一節


2011年11月7日〜

人生は戦いにして、また過客の仮の宿り

マルクス・アウレリウス『自省録』より


2011年10月31日〜

杜甫 飲中八仙歌

知章騎馬似乘船
知章の馬に騎るは船に乘るに似たり
眼花落井水底眠
眼はくらみ井に落ち水底に眠る

汝陽三斗始朝天
汝陽は三斗にして始めて天に朝す
道逢?車口流涎
道に?車に逢えば口には涎を流す
恨不移封向酒泉
恨むらくは封を移して酒泉に向はざるを

左相日興費萬錢
左相は日に興に萬錢を費す
飮如長鯨吸百川
飲むこと長鯨の百川を吸ふが如し
銜杯樂聖稱避賢
杯を銜み聖を樂しみ賢を避くと稱す

宗之瀟灑美少年
宗之は瀟灑たる美少年
舉觴白眼望天
觴を舉げ白眼青天を望む
皎如玉樹臨風前
皎として玉樹の風前に臨むが如し

蘇晉長齋繍佛前
蘇晉は長齋す繍佛の前
醉中往往愛逃禪
醉中往往逃禪を愛す

李白一斗詩百篇
李白一斗詩百篇
長安市上酒家眠
長安市上酒家に眠る
天子呼來不上船
天子呼び來れど船に上らず
自稱臣是酒中仙
自ら稱す臣は是酒中の仙と

張旭三杯草聖傳
張旭は三杯にして草聖を傳ふ
脱帽露頂王公前
脱帽して頂を露す王公の前
揮毫落紙如雲煙
毫を揮って紙に落とせば雲煙の如し

焦遂五斗方卓然
焦遂は五斗にしてまさに卓然
高談雄辯驚四筵
高談雄辯四筵を驚かす


2011年10月24日〜

「俺はロードス島の競技会の跳躍競技で優勝したんだ」と自慢する男に向かって、ある人が言った。
Ιδου Ροδος, ιδου και το πηδημα. (Hic Rhodus, hic salta.)
《ここがロードスだ。ここで跳べ》 ……ロードス島で跳べたのなら、ここでも跳べるだろ。ここがロードスだと思って跳んで見せろ!……

アイソフォス『寓話』203


2011年10月17日〜

第71条 政府官吏圧制ヲ為ストキハ日本人民ハ之ヲ排斥スルヲ得 政府威力ヲ以テ擅恣暴虐ヲ逞フスルトキハ日本人民ハ兵器ヲ以テ之ニ抗スルコトヲ得
第72条 政府恣ニ国憲ニ背キ擅ニ人民ノ自由権利ヲ残害シ建国ノ旨趣ヲ妨グルトキハ日本国民ハ之ヲ覆滅シテ新政府ヲ建設スルコトヲ得

植木枝盛 『東洋大日本国国憲案』


2011年10月3日〜

η παιδεια εν ταις μεν ευτυχιαις κοσμος εστιν, εν δε ταις δυστυχιαις καταφυγη.
教育は、幸福な時には飾りであるが、不幸な時には避難所である。

ディオゲネス・ラエルティオスの伝えるアリストテレースの言葉


2011年10月10日〜

ελεγε τις "ανεπιτηδειος ειμι προς την φιλοσοφιαν" - "τι ουν ζης;"εφη Διογενης.
ある人が、「私は哲学が苦手だ」と言った。すると、(樽の中の)ディオゲネースはこう言った。「じゃあ、なぜ君は生きてるんだい?」

ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』
樽の中のディオゲネスの項


2011年7月25日〜

われらの主は 黙々として 答へてくれない、
なぜならば 議論をしても損だから。

フランソワ・ヴィヨン(François Villon)『遺言詩集 第46(451-2行)』鈴木信太郎訳 岩波文庫p.82


2011年7月18日〜

わし自身の事の外、何も彼もわしには解る。……
神を否認する者の信仰より外に 信仰はない。

フランソワ・ヴィヨン『雑詩篇 第3 バラッド(8行)/第4 バラッド(7行)』鈴木信太郎訳 岩波文庫p.218・p.220


2011年7月11日〜

Schwing dich auf, Frau Nachtigall,
Grüß' mir mein Liebchen zehentausendmal.
飛んでお行きよ 駒鳥夫人
あの娘によろしく 千たびも

[Goethe: Faust. Eine Tragödie. Goethe: Werke, S. 4826 (vgl. Goethe-HA Bd. 3, S. 68)
ゲーテ『ファウスト』第一部「ライプツィヒ・アウエルバッハの酒場」の場 (2101-2102行)


2011年7月4日〜

恩師・井上正蔵先生へのオマージュ

Laß die heil'gen Parabolen,
神聖な寓話を捨てろ
Laß die frommen Hypothesen -
敬虔な仮説を放り出せ
Suche die verdammten Fragen
あの糞いまいましい問いを
Ohne Umschweif uns zu lösen.
一刀両断に解いてくれ

Warum schleppt sich blutend, elend,
何故に、義しい者が哀れにも、十字架を担い
Unter Kreuzlast der Gerechte,
血を流し、足引き摺らなくちゃならないのか
Während glücklich als ein Sieger
それに引き替え悪党どもは、しあわせそうに
Trabt auf hohem Roß der Schlechte?
馬上高く勝ち誇って睥睨する

Woran liegt die Schuld? Ist etwa
悪いのは誰だ? まさか、我らが主は
Unser Herr nicht ganz allmächtig?
全能ではいらっしゃらないのか?
Oder treibt er selbst den Unfug?
それとも主御自らが乱暴狼藉を働かれるか?
Ach, das wäre niederträchtig.
そうなりゃ、何とも見下げ果てたこった

Also fragen wir beständig,
だから俺らは問い続ける
Bis man uns mit einer Handvoll
奴らが手に手に土くれを握って
Erde endlich stopft die Mäuler -
俺らの口を塞ぐまで――
Aber ist das eine Antwort?
それがお前らの答えってやつかい?

[Heine: Werke, S. 956 (vgl. Heine-WuB Bd. 2, S. 209)] ハインリヒ・ハイネ


2011年6月13日〜

恥を知れ!!

……若し自尊の氣象有り、自重の意態有り、丈夫の操守有る時は、一日も官職に在ることを得可らざるなり。朝に抗議して侃々の言を發すれば、夕には則ち罷黜の状至る。祿俸の賜を獲ざれば、一家數口の者、復た活することを得るの道無し。自ら寒餓して死し、且つ寒餓して死せしむるよりは、寧ろ首を俛して緘默し、妻子と團欒して、新鮮を茹らひ、輕煖を着くるの愈れるに如かず。是れ豈に論理法の最も見易き者に非ず乎。何ぞ侃々諤々として、昔日に流行して今日に流行せざる人物を模擬することを須ひん哉……

(中江兆民『三酔人経綸問答』岩波文庫版143頁)。


2011年6月6日〜

《問い》に対するもっとも正しい《答え》とは、《問い》の根拠を破壊する《反問》である。
《問い》には、その問いが前提としている何かがあります。たいていの人は、自分が前提にしていることを決して疑いません。というか、前提にしていることを自覚していないので、自分の問いにはそもそも前提があるということにすら気付いていないし、当然、その前提の妥当性を考えてみることもありません。何かを《問う》ために最も大切なのは、自分の問いには何か暗黙の前提があるのではないかと疑うことです。また、他人の立てる《問い》に対しては、その問いの前提を疑ってあげることが、相手に対して最も誠実な態度です。


2011年5月30日

παντες ανθρωποι του ειιδεναι ορεγονται φυσει.

人間は生まれつき知ることを欲する。

Αριστοτελουs των μετα τα φυσικα

アリストテレス『形而上学』冒頭


2011年5月23日

燕雀安知鴻鵠之志哉


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最終更新日:2013/10/3