言語地理学のへや(福嶋秩子)




SEAL開発の経緯



福嶋・福嶋1998より「あとがきにかえて」、一部改稿の上転載

SEAL初版をつくった頃


 SEALはWindows95版によって、新たな展開を見せている。振り返れば、SEALをはじめて発表してから15年が経過した。当時、東京外国語大学の井上史雄さんや東京都立大の荻野綱男さんらが牽引車になってコンピュータを使った言語学データの分析、解析を先駆的に行われていた。そのころ、著者らは東京を離れ、地方都市に居を構えることとなった。アップルコンピュータやNECのPC8000等がマイコン(当時はパソコンとは呼ばず、マイコンピュータあるいはマイクロコンピュータの略のマイコンと呼ばれていた)としてもてはやされつつある頃だった。これらは主として科学計算やマイコンゲーム用として用いられていた。グラフィックスのはしりはあったがその機能は十分とはいえなかった。

 しかし、まもなくして1982年にNECのPC8800が発表された。この器機はPC8000と同じ8ビットCPU(中央処理装置)マシンであり、標準的なコンピュータ言語としてN88BASICが添付され、実用に耐えうるグラフィックス処理機能を備えていた。このグラフィックスは640x400ドットのカラーの機能を有するものだった。第二著者の祐介は、夜毎夜毎ゴム印と格闘しながら言語地図を描く第一著者の秩子の作業をコンピュータで処理できないかと考えていた。PC8800は本体、フロッピーディスクドライブ、ディスプレー、プリンター合わせて100万円の高価なものであったが、鋭意の決断で投資することにした。

 さて、パソコンは手に入れたものの、これをどのようにして言語学に生かそうか思案の日が続いた。その結果、まず、言語地図作製ソフトを自作しようということになった。パソコンは普及し始めたばかりで、満足な既製ソフトはまだなかったからである。言語地図作製ということで、かなり的が絞れ、どのような機能が必要か、毎晩議論した。必要なものは言語地図用の白地図の作成、はんこの代わりになるアイコン機能の作成、チェック機能を有する言語入力プログラムなどということになり、小プログラムを少しづつ作り始めた。

 何とか3ヶ月ほどで基本的なソフトが形を見せた。これだけではまさにゴム印によるはんこ押しを電子化しただけのことである。せっかくパソコンを使うのであるから、その特色を活かした機能も欲しいと考えた。そこで、何項目かの言語データを集計するという機能を開発した。頻度集計とRANK集計の原型である。これらのいくつかのソフトの名前を付けることにし、SEAL(System of Exhibition and Analysis of Linguistic Data)とした。

 SEALが完成するころ、祐介の2年間のアメリカ行きが決まり、家族全員で渡米することになった。せっかく、かなりの時間を投資してSEALを開発したのだから、プログラムを公開しようと言うことになり、ユーザーズマニュアルをまとめ、フロッピーディスクとともに世に問うたのが1983年春のことであった。

 この頃のSEALで作成した地図を柴田武先生にお見せしたところ、もう少しきれいにならないかとおっしゃったことが記憶にある。現在ではほとんど使われることのない16ドットのプリンタを使っていたため、今から見るときめの粗い地図であった。また、言語データの一覧表から異なり語形を抽出するようなデータの処理にもずいぶん時間がかかった。ともあれはじめてのSEALがこうして完成した。


SEAL改訂へ


 2年間のアメリカ生活では、秩子も祐介もいろんな意味で啓発された。同時に、SEALはパソコンによる言語データの分析、地図処理の面で先駆的であったことを再確認した。1984年春、あのマック(Macintosh, Apple 社製)が発表され、初代マックを我々も購入し、それまでのパソコンを一変させた機能に感心した。同時にこれからは真のパーソナルコンピュータ(個人個人のコンピュータ)の時代であることを確信した。

 帰国後日本では16ビットのNECのPC98の時代になっていた。SEAL version 1は先に述べたようにPC88で開発されたから、PC98ではそのままでは動かない。version1をPC98用に小修正し、version 2とした。用いたソフトはDISK版のN88BASICである。その後、これをMS-DOS版のN88BASICに移植し、SEAL version 3.0とした。

 これまでのシステムはBASICインタープリターにより記述されており、多少のBASICの基礎を必要とした。データの変更の際、ファイルをマージすることなど、特に文科系のBASICの知識のない方々には近寄りがたいシステムであったかもしれない。

 その後、この点を改良すべくSEAL version 4.3を発表したのは1995年3月であった。パソコンは32ビットの時代に入っていった。version 4.3にバージョンアップする際には、東京大学の上野善道さんとの共同作業が大いに役に立った。上野さんは奄美喜界島での言語データを既に電子化されており、その一部をSEALで地図化したいとの希望をお持ちだった。それではということで我々も作業を行い、SEALでの分析の手伝いをした。その過程で、SEALの使い勝手の悪い点など、様々な指摘をいただいた。そうして完成したのがSEAL version 4.3である。

 version 4.3はMS-DOSのN88BASICコンパイラー版である。この大きな特徴は、プログラムがコンパイルされており、操作にBASICの知識を全く必要としない点にある。同時にデータの入力などにMS-DOS版の編集ソフト、データベースソフトなどを利用できる点である。SEALの改良にあたっては多くの方から貴重な助言をいただいてきた。特に井口三重さんからはSEALのMS-DOS版への移行を勧められていたが、それが実現できたのもこのversion 4.3であった。


SEALさらなる改訂へ


 このようにして、それまでのSEALに比べ使い勝手が改善されたMS-DOSコンパイラー版SEALであるが、N88BASICで作られているという点で、いくつかの不十分な点があった。

 まず、その第一として、N88BASICではあまり大きなプログラムを書くことができない。このため、これまでのSEALは小さなプログラム群のいくつか集まったシステムである。version 4.3ではコンパイルされたプログラムをバッチファイルで制御するという方法をとっている。このため、地図化や分析の作業をひとつひとつ行っていた。このため統合的な処理を行うことができなかった。

 また、version 4.3を発表した当時既にWindows3.1が用いられており、その操作性と比較するとMS-DOSの未来は暗いと予感された。また、言語データとして自由に漢字を使えないこと、白黒の地図しか描けないことも大いに不満足であった。また、データ処理時間の点も満足ではなかった。なにより決定的なことは、MS-DOSマシーンはWindowsで動くDOS/Vマシーンに比べ劣勢であることで、日本におけるパソコンの雄NECのPC98もWindows派となるなど大きな時代の転換期にあった。

 1995年に文部省の科研費に採択されたことはSEALの新しい方向性を考える上でよいきっかけになった。我々は考えた、SEALの未来は、これからの言語地理学は、等々である。Windows95にSEALを移植するため、どのような言語(コンピュータ)を使ったらよいのか。結論は、Microsoft社のVisual Basicを用いることであった。

 その理由の大きな点は、比較的プログラムを描きやすく、Windows95の機能を活かした操作性を得ることができる点であった。大きな欠点は、Visual Basicは同じBasicの名がついてはいるものの、それまで使っていたN88BASICとは全く発想も文法も異なった言語である点であった。もう一踏ん張りという覚悟で、VBによるSEAL for Windowsの開発を始めた。VBの参考書を何冊も買い込み、レファレンスマニュアルやユーザーズマニュアルと首っ引きで、VBらしい、Windows95の操作性を引き出す技法とは何かを考えながらのシステム開発であった。これまでのバージョンのSEALの機能と同等かそれ以上の機能をもつシステムを組むことを心がけた。

 できあがったSEAL version 5.0 for Windows95は、VBの知識が全くいらないWindows ライクな操作性をもつシステムである。これも重要なことだが、SEAL version 5はVisual Basic本体がなくてもセットアップ可能である。VBがなくても、Windows95があればSEALを使用できる。もちろんNECでもDOS/Vでも使用可能である。処理速度の点でも十分満足できる。また、プログラム言語の知識を全く必要とせず、Windows95上で楽々言語地図の作成ができる。それがSEAL version 5.0 for Windows95である。

SEAL開発の15年間に、言語資料の入力・分析もこつこつと続けて来た。秩子が関わった日本方言の言語地理学資料の分析を主として行ってきた。ドイツのフィアエック教授に提供されたイングランド方言資料の分析を進めるにあたっては、テキストファイルの処理など新しい機能の必要性を感じ、新たなシステム開発への推進力になった。ともするとシステム開発が優先される時期もあったが、実際の言語資料の分析とシステム開発は車の両輪である。これからも分析を進めていくとともに、システムの改良を考えていくことになるだろうと考えている。


    1998年3月       福嶋秩子、福嶋祐介





インターネット共同研究報告 福嶋秩子

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