ブックタイトル平成28年度公開講座記録集

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平成28年度公開講座記録集

平成28年度 新潟県立大学 公開講座 新しいつながりのかたちを求めてたちと、後でそこに移住してきた人たちが、協力して生活しているところを見て、とても心が暖まりました。小林監督に質問させていただきたいことが2 点あります。まず1 点目ですが、特に私の心に残ったのが、映画のなかで、あるおばあさんが、東京でやりたいことがあったのに新潟に戻ってきて嫁ぐ、でも最終的にはそれでよかったのかなと語る場面です。私はその場面を見て、東京でやりたいことがあったのに、本当に新潟に戻って来てよかったのかなと思いました。もちろんこういう田舎の暮らしは、すごく憧れるのですけど、本当はもっと他にいろいろしたいことがあったのではないかと思ったので、そこのところを小林監督はどういうふうに考えているかお聞きしたいです。2 つ目は、自給自足の生活を皆さんがされているのを見て、食べ物などにはそれほど困らないと思うのですが、他にどういうふうにしてお金を稼いでいるのかなと気になりました。生活していると、電気や水道などお金がかかると思うのですが、映画の中では働いているところがあまり出てこなかったと思います。皆さんがどういうふうにお金を稼いでいるのかを知りたいです。よろしくお願いします。●都会の暮らしと村の暮らし小林:しゃべるとついつい長くなるので短くお話ししますね。今の青島さんのご質問、大変いい質問だと思います。「長作さん」という屋号の所に嫁がれた女性、ノブさんの話ですよね。彼女の嫁ぎ先は、親戚だったわけです。夫の倉重徳次郎さんは、木羽葺き職人で、田んぼも畑もやりながら、当時、大繁盛していました。他方、ノブさんは当時、東京に上京して、「久月」の人形の、頭かしらう植えというのですが、結髪師の仕事、つまり人形の頭の髪の毛を植え付ける仕事をして、あと2 カ月ぐらいしたら免状が取れるという時期でした。そうすると職人扱いになるので、その職人の免状があれば、どこへ行っても人形屋で働ける。彼女は、それを取りたかったわけですね。でも、ノブさんによれば、親戚ですから結婚話がうちうちに進められていく。長作さんの家では、一刻も早く、半分働き手としての彼女がほしかったわけです。結婚後、ノブさんは、主に田んぼや農作業をして、子ども4 人を育てていらっしゃいます。映画の制作段階で編集者と相談したときに、映画を見る人が青島さんのように反応してくれるだろうかと心配していたのですが、見事に青島さんがそういうふうに反応してくれました。やっぱり女性から見ると、そう思うでしょうね。ああいうふうに親同士が結婚を決めて、母親が危篤だと言われて、落語によくあるような話で戻ってくるわけですから。要するに、そうでもないと戻ってこない。今でいうと、東京暮らしは、外国暮らしと考えたらいいでしょうね。久月の人も、お母さんが危篤だっていうので、いろんな支度をして彼女を帰しているのです。でも、いったん帰ってくれば、親がもう離しません。同時に、ノブさんも母親の願いを知っている。お父さんが早くに事故で亡くなっていたこともあって、お母さんからすれば、相手は親戚でもあるし、嫁がせて早く安心したかった。でも、そこら辺は、今の時代だったら、また違うと思います。でも一方で、彼女が嫁いだ先は、やっぱり自分の生まれ故郷でもありますよね。そういう中で、労働は厳しかったと思いますし、家族関係もいろいろとあったと思うのですが、精いっぱい生きてきたなという感じだったのではないかと思います。映画のなかでも若い時の古い写真が出てきますね。昨年、長作さんがお亡くなりになりました。そしてノブさんも、それがきっかけで少しがくりとしたようなところがあって、実は映画の完成版をまだお見せできていません。しかし、たまたま、仕事の関係で千葉に転勤していた長男の倉重源さんに連絡がついて、僕はびっくりしたのですけど、渋谷での上映会に名刺を持って来てくれました。その時は何もおっしゃらずに帰ったので、いや困ったなと思っていたのです。しかし、後で連絡がありました。「自University of NIIGATA PREFECTURE 4