ブックタイトル平成28年度公開講座記録集

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平成28年度公開講座記録集

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平成28年度公開講座記録集

第1回 映画『風の波紋』に鼓動する新しい「結」の魅力を語り合う今、人工透析をして10年になります。そして、9 年前には『阿賀に生きる』をともに作ってきた佐藤真監督が、若くして自らの命を絶つという出来事がありました。そういうことが重なりましたので、私はうつ病になりました。本当に、彼の命日が近づくと半年間、体調を崩して電話に出ることもできないというような感じでした。それで服薬をして、半年たったら服薬を中止する。また夏が近づくと、彼の命日が近づくものですから、服薬をする。そういうことが5 、6 年続きました。そういうなか、あることがきっかけで、昔から知っている木暮さんの所に遊びに行くことになりました。そうしたら映画に出てきたような、よく知っているメンバーが集まりました。みんな、山ブドウができたぞとか、蕎麦を手打ちしたからとか言って、集まったわけです。もう彼らの匂いが違うんですね。僕は田舎育ちなのに、もうそういう匂いがしないんですよ。みんなで、そういう宴を一晩やってくれたんですけど、次の朝4 時ごろになると、みんな仕事に戻ります。夏ですからね、早いです。私は6 時頃起きたので、もう誰もいないんですよ。なんか昨日の晩は夢だったんじゃないかと思うような気持ちを持ちながら山々を見ますと、草木に夜露がはりついていまして、それから強い夏の光、太陽が光っているんですね。本当に宮沢賢治の世界のような感じがして、その瞬間に僕は、ここだったら映画ができるんじゃないかと思って、この映画をつくり始めたんです。こういう映画にしようとかという考えは、とてもなくて、僕は、映画をつくるということで、生きたかったのだろうと思うんですね。僕は、映画をつくる間は、必ずゴールしたいという気持ちがありますので。僕が生きていくために、この映画をつくるのか、つくることによって僕が生きてこられたのか。ですから、そういう意味で、私は『風の波紋』というのは、木暮さんが1 人来ていることで、周りに波紋を起こすということもありますけど、私自身、原点に帰るという意味があるように思います。『風の波紋』は私にとって原点です。ですから、光る山を見たときに、自分の幼い頃、それから村、生活を、走馬灯のように思い起こしたというところが出発点だったと思います。質問者A:ありがとうございました。すごくいいお話を聞かせていただいて、ありがとうございます。質問者B:私のルーツは長岡なのですが、母が十日町の出身で、おじいちゃん、おばあちゃんは松代出身です。そういうことを想いながらこの映画を見ました。そして、おじいちゃんは、実は、畑仕事や野良仕事ではなくて、芸能の仕事をやっていました。おじいちゃんが亡くなって、葬式で十日町に行ったときに、三味線や歌をもって部落を回っていたんだということを、周りの人に教えてもらって知りました。映画を見ながらあらためて、あの地域では、歌を歌ったり、太鼓をたたいたりして、お祭りというものがすごく大切に受け継がれているのだと思いました。そして、『風の波紋』は宮沢賢治の「雪渡り」の劇のシーンから始まったり、朱鷺の劇がありましたので、ファンタジー的な要素があるのかなと思いました。映画のなかには、風の音とか、木の家が泣いている音とか、雪のきゅっきゅという音とか、それぞれ違った音があるわけですが、五感が突き動かされて、何か今つながってきました。あらためて何回も見ていきたい映画だと思いました。最後に、今、福島の方と友達になり、交流しているのですが、その彼女がこの映画を見て、とっても良かったと言っていました。映画を撮っているときに地震が起こったと思うんです。新潟でも、忘れられつつありますが、県境で大きな地震がありました。この地震の経験が、この映画にどういうふうに反映されているのか、ちょっとお伺いしたいです。●地震という出来事と映画小林:大事なところなので、慎重に答えたいと思います。まず地震のことについて話します。撮影を始めて間もなく、3.11がありました。大変なことになるわけですね。そして、3.12の未明に県境の地震が発生するので、私も長岡の自宅で前日の地震の余震だろうと思っていました。その日、実は長岡で『風の波紋』の製作発表をしたのですが、帰ってからニュースを見ますと大変なことになっていた。連絡してみますと木暮さんのうちが全壊、他の仲間たちのうちも半壊と、そういう状況でした。私は非常に困ったなと思いました。普通の監督であれば、これ幸いとこの状況を撮るだろうと思います。しかし、私は、非常に困りました。まず友人の家がそんな状11 University of NIIGATA PREFECTURE