ブックタイトル平成26年度公開講座記録集

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平成26年度公開講座記録集

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平成26年度公開講座記録集

第2回公開講座 新潟における果樹農園の展望「新潟における果樹農園の立地とアグリパークの役割」新潟市アグリパーク総括館長 坪川 藤夫それでは、難しいテーマをいただきましたが、私なりに日ごろ考えていることで話を進めていきたいと思っております。●旧白根市における果樹農業立地の背景まず初めに当地域における果樹農業立地の背景ということを考えてみたのですけども、当地域というのは、旧白根市を中心とした、南区の地域というふうにお考えいただきたいと思います。そこになぜ果樹が出てきたのかということなんですけれども、一つは自然条件ですね。川に囲まれて、水利だとか、土壌条件、こういうものが、果樹の栽培に適した条件であった。それからこの地域は度重なる洪水との闘いを強いられたわけで、一般的に稲作ができない場合は、柿とか栗、梨が植えられていました。これを契機に藩主によって梨栽培が奨励されたという記録があります。ということで長年に渡る果樹栽培技術の蓄積があったことと、新潟市、白根市、三条市といった大きな消費地も背景にあったということだと思います。果樹栽培がいつごろ始まったのかというと、古文書等見ますと、和梨の栽培については享保年間ですね。江戸の中期から始まっているようです。先ほど言いましたように、凶作の備えというのが契機になって梨栽培が始まったということで、旧白根市では文化財にも指定された「梨栄造育秘艦」という、農家に代々伝わる梨栽培の秘伝書がありまして、ひそかに伝授されてきた技術があったということです。桃に関しては安永年間、これも江戸中期に栽培されていたということです。葡萄は、明治維新とともに、日本各地に導入されましたけども、白根では、明治20年ごろから栽培の端緒を開いたということです。そういうことで、この梨・桃・葡萄については、大正期に入って徐々に生産量を伸ばしてきた経過があります。それでは、果樹農業がこの地域でどのように発展過程を辿ったのかということですけども、私はいくつかポイントがあると思います。一つは、昭和36年に農業基本法が制定され、この中では農家の作物の選択的拡大とか、自立経営農家の育成といったことが掲げられております。そういうことで、段々食生活が豊かになって、野菜とか果実をでんぷん質の食事に取り入れる契機になっていると思います。それから、稲作の方ですけれども機械化が進み、余剰労力等を園芸部門に投入したということも契機の一つかと思います。それから、低米価の稲作から脱却して新たな収入源を園芸の方に求めたということも、もちろん契機ではないかと思っています。そういう経過を辿りながら、この地域で果樹を押し上げた一番大きな理由というのは、私は、稲作の生産調整だろうと思っています。米の減反政策については、昭和46年ごろから本格的に開始されましたけども、どうせ減反するんであれば、お金になる作物を取り入れたいということで、もともとあった既存産地を拡大していくという動きがありました。データを見ると、2010年農業センサスに出た旧白根市の果樹面積は280haほどありますが、そのうち約40%が生産調整で栽培された面積でございます。それから先ほど言いました長い梨栽培の歴史もあったということで、栽培に関するノウハウを蓄積していったことも大きな要因かと思います。それから公的な支援策による生産面積の拡大ということで、これについては、苗木の助成とか、果樹栽培に必要な機械や施設への助成、あるいは、水田を埋め立てる客土への助成と、こういったものを旧白根市ではかなり精力的にやってきた経緯があります。それから果樹園芸に対する非常に熱心な農家の厚い層があったこともあります。最後に特別に触れておきたいのは、現在新潟市南区の特産作物のルレクチェについてです。昨日、出荷解禁日になりましたが、他の果樹は、ちょっと伸び悩んでいるなかで、この地域ではルレクチェは少第2回公開講座新潟における果樹農園の展望第1部 リレー・トーク17 University of NIIGATA PREFECTURE