平成24年度新潟県立大学 公開講座

平成24年度新潟県立大学 公開講座 page 58/80

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平成24年度新潟県立大学公開講座「阿賀野川流域から世界へ」どうしたらいいだろって言われて、じゃあ、せっかくだから漆山昌志って腕のいい石工がいるから、阿賀野川の石で彫ってプレゼントしますよ…。大熊 と言っ....

平成24年度新潟県立大学公開講座「阿賀野川流域から世界へ」どうしたらいいだろって言われて、じゃあ、せっかくだから漆山昌志って腕のいい石工がいるから、阿賀野川の石で彫ってプレゼントしますよ…。大熊 と言っちゃったわけ?旗野 と言っちゃったんです、酔った勢いで。すぐ作って送ったら、すごく喜んでくれて。埋め立て地なもんですから、県有地なんですよ。川本さんは、過激派って言われてる人で、勝手に建てちゃうんですね。建ててしまったら、県の人は、「困るんですよ、移動してください」って毎回言われるんだそうです。「お地蔵さんっていうのは1 回魂入れると、ただの石じゃなくなります、移動できるものならどうぞ移動してください」って言うと、さすがの県の人も、手出しができないと。穏やかな地蔵さんだけに、とても、存在感というか、怖い存在であるということですね。実はそのときに、いつか新潟でも、このお地蔵さんの力って、大事なんじゃないかなとは思いつつ、それが私にとって、やっぱ和解が一つの節目だったんですね。そして2007年、佐藤さんが亡くなった年。田中正造、足尾鉱毒事件ですね、100年前の話だけど。実は、草倉銅山、古河鉱業が足尾銅山を始める前の、その足尾の足掛かりにした草倉銅山って所がありまして、そこでもう煙害、起こしたりしてるんですね。そこの利益でもって足尾に移るんですが、草倉の被害民と足尾の田中正造さんとが、交流したような新聞記事も見つかったりして、阿賀野川の、その草倉の被害民の人たちが、田中正造さんを呼ぶことを決議したっていう新聞記事が出てるんですね。ただ、実際来たかどうかっていうのはまだ見つかってないんですけど。そういう縁があったり、新潟が生んだ、『大日本地名辞書』を作った吉田東伍(とうご)さんという方が…大熊 吉田東伍という人がいます。安田生まれで、旗野家から新津の吉田家に養子に行って、それで東京へ行って大学者になって、早稲田の教授になって、『大日本地名辞書』というのを書きます。そして、地理学者でしたから『利根治水論考』という利根川の歴史の本を書きます。私のドクター論文が、「利根川治水の変遷と水害」というもので、その『利根治水論考』を読んで、吉田東伍を知ります。ついでに、利根川のことを勉強していると、渡良瀬川の鉱毒事件だとか、谷中村問題に行き着かざるを得なくて、田中正造の勉強をしました。その田中正造が死んだときに、吉田東伍が追悼文を書いてるんですよね。そんな関係があったんですね。で、私は新潟大学に来たときに、今から39年前、工学部がまだ長岡にあったときに助手で来たんですけども、そのときに、すぐに吉田東伍のお墓参りに行きました。ということで、ぐるぐるぐるっとつながって、私自身にもつながっていたということです。で、このお地蔵さんをどうしたんですか?旗野 古河市の追悼集会に、吉田東伍が駆け付けて追悼演説をやったっていう記録が残ってますが、100年前から新潟とのつながりがあった。でもそれって、なんにも形、残ってないよなっていう話が出たりしてる中で、先ほどの渡辺参治さんと一緒に田中正造大学の講演に行ったりとか、キャッチボールの関係があったんですね。田中正造大学事務局長の坂原さんに、お地蔵さんをプレゼントしたいんだけど、受け取ってくれる? と。2007年に、向こうもすごく喜んでくれて、先ほども先生がおっしゃったいきさつもあったんですが、正造さんの分骨してる一つの雲龍寺さんに奉らせてもらいました。そのときも参治さんが一緒に行って、歌ってくれて交流しました。来年、田中正造没後100年になるんだそうです。今年百回忌。2007年の9 月4 日に佐藤真監督が亡くなってるんですが、なんと田中正造さんの命日なんですよね。そういうこともすごく不思議な縁だなあと思ってます。で、来年没後100年に、足尾の石を漆山さんたちと拾って、安田の工房に運んであるんですが、この冬場の暇なときにお地蔵さんを彫ってもらって、あんまり大きな声でまだ言っちゃいけないのかもしれないけど、草倉銅山の縁のある場所に建立したいと思っています。公害の原点といわれてる足尾と草倉、水俣と新潟を、お地蔵さんで結んだら、多分、環境と人間のふれあい館も大事だけど、なんか、お地蔵さんでも、われわれが死んでも、勝手につないでくれるんじゃないかなというふうな気がしてもくろんでます。まだほんとは、どうなるか分からないんですが、でも、大体あそこがいいねと今、場所の選定とかしています。患者さんとどう付き合うか、患者さんが喜ぶネタは、そんな簡単ではないですけれど、例えば今年は、なぜか阿賀のお地蔵さんのお参り客がすっごく大勢で、東京からも大きな観光バスで来ました。村の人たち、みんなびっくりするわけですよ。それで、すUniversity of NIIGATA PREFECTURE 56