平成24年度新潟県立大学 公開講座

平成24年度新潟県立大学 公開講座 page 57/80

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第3回公開講座 阿賀野川流域と『阿賀に生きる』を語るとも、いろいろ紆余曲折はありましたけども、やっぱり私はある種、お地蔵さんみたいな存在でもあって、後世に語り伝える。100年、200年、このお地蔵さんが、「....

第3回公開講座 阿賀野川流域と『阿賀に生きる』を語るとも、いろいろ紆余曲折はありましたけども、やっぱり私はある種、お地蔵さんみたいな存在でもあって、後世に語り伝える。100年、200年、このお地蔵さんが、「これはな、死んだじいさんとばあさんが、水俣まで石拾いに行って作ったらしんだわ」とかね、そういう語り草、物語になるんじゃないかと。新潟水俣病公表40年をきっかけに、このお地蔵さんをテーマに絵本を作ってもらったりするんですが、たまたま…私の話の中ではたまたまばっかしですね…神戸の友達の涌嶋克己さんっていう人が、神戸の震災にも遭ってるんですが、自分のその体験記と新潟水俣をうまいこと話の筋にしてくれて、とてもすてきな絵本を作ってくれました。なんと、これもあの冥土のみやげ企画の仕事ですけども、去年、おととしでしたか、新潟県が、県の事業の一環として、県内の小中学校に1 冊ずつ、全校配布の副読本として取り扱ってくれました。信じられない、考えられなかったですけど。やっぱりそういうふうに、お地蔵さんの力っていうのは伝わってくるんだなって気がしました。で、たまたまですね、あのう…大熊 たまたまが多いなあ。(一同笑い)旗野 はい、ほんとにたまたまなんです。マスコミの人とかですね、旗野さん、裁判が終わったから、じゃ、このお地蔵さん、そんなに効き目があるんであれば、川筋に今度はお地蔵さん建てる運動やるんですか? なんていう人もいたんですが、私はここの事情があって、こういう形になったんであって、そういうふうに思う人は、それぞれやればいい。そんな運動論的にやったわけではないんで、いや、ちょっとは考えたかもしれませんが、実はその4 年前に、熊本に、亡くなられた川本さんの依頼があって、阿賀野川の石で彫って送ったんですね。水俣の原因企業であるチッソの排水口の目の前に、川本さんたちが建立してあります。いわゆるその、兄弟地蔵みたいなことで、一つはこう…大熊 この水俣のお地蔵さんが最初なんだよね。私も、これを建てたっていうんで、わざわざ水俣まで行って、これ私の写真なんですけどもね、撮ってきたんです。だから、まずこの水俣地蔵があったんだよねえ。このいきさつが、単に川本さんに言われたからって、阿賀野川の石を持ってきて…やっぱりここ、もうちょっと、よくは知らないから教えてよ。旗野 川本輝夫さんは、お父さんが劇症型で精神病院で狂い死にしちゃうんですよね。それを最後までみとって、ご自身も申請するんですが、安田の患者さんと同じで、棄却になります。で、行政不服をしました。それを支援する熊本の水俣病研究会という、若きころの原田正純先生とか、石牟礼道子さんとかいろんな方が、行政を相手にして立ち上げるんです。1971年、環境庁ができる年です。8 月に川本さんたち素人が、逆転認定裁決を勝ち取るんです。これはすごく大事な内容なんですが、症状が一つでもあったら、とにかく被害者なんだから、他の合併症とか、鑑別診断なんてのは二の次だと、すぐに救済しなさいっていう次官通達出したんです。71年の8 月以降、急速に認定患者が増える。71年9 月の新潟第一次訴訟判決もそれの影響を受けて、患者側が勝ったというふうな見方を私もしてるんですが。それが、73年のオイルショックあたりから、蓋然性とか組み合わせとか言って、また棄却が増えて、安田の患者さんは全員棄却になるんです。という運動を川本さんが独自に展開して、最終的には市会議員とかなって、政治のところでやるんです。1994年、東京・水俣展で久しぶりに会ったら、運動的にもかなり行き詰まった様子で、地蔵さんを建てたいが相談に乗ってくれって突然言われたんです。水俣の事件に関わる88カ所に、地蔵さんを建てたい。ついては最初にまず、諸悪の根源である排水口に建てたい。絵本・阿賀のお地蔵さん55 University of NIIGATA PREFECTURE