平成24年度新潟県立大学 公開講座

平成24年度新潟県立大学 公開講座 page 52/80

電子ブックを開く

このページは 平成24年度新潟県立大学 公開講座 の電子ブックに掲載されている52ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
平成24年度新潟県立大学公開講座「阿賀野川流域から世界へ」みたいなのが、とてもいい。だから多分、この人たちが特別じゃなくて、たまたまカメラを向けられた3 家族ではあったけども、若い人たちっていうか、われ....

平成24年度新潟県立大学公開講座「阿賀野川流域から世界へ」みたいなのが、とてもいい。だから多分、この人たちが特別じゃなくて、たまたまカメラを向けられた3 家族ではあったけども、若い人たちっていうか、われわれもみんな、一生懸命さ加減は通じたんじゃないかなと思うし、この3 家族の人たちも、なんか面白がってくれた。水俣病の苦しい話してくださいっていうことじゃなくて、ほとんどそういう話は、インタビューはしてないんですよね。大熊 それで、あの、ちょっと言いたいのは、スタッフは若くて、エネルギーが余ってたんですね。フィルムはものすごく高くて、4,000万円のうち2,000万円ぐらいフィルムでお金が飛んでくんですよ。彼らには、コバさんが10万円で、監督が2 万円というようなお金しか渡してなかったんですよ。まあ、エネルギー余ってるもんだから、それじゃあ、こういう本を作ろうつって、雑誌ですけども、「阿賀草紙」を次々と発刊するんですね。第4 号は水俣病特集を作りました。表紙は田島征三さんの陶器を使ってます。それから、こういう『焼いたサカナも泳ぎだす』という記録集を出して、ここに映画の細かいシナリオに相当するものが入っています。それから映画のパンフレットなんですけども、映画ができたあと1 年たって作るんですね。普通パンフレットは、映画作ると同時に出るんですけども、1 年遅れて作るといったようなことをしました。それから1,000万円借金したって言いましたけども、それは、サンダンス・フィルム・フェスティバル IN TOKYOで、1,000万円もらいました。で、それで返せると思ったら、200万円だったかね、所得税を取られてしまって、まだ200万円残ってたんですけども、92年の文部省の芸術祭選奨と、文化庁の優秀映画賞というので、これで100万円ずつもらって、それで借金は返せて、ああよかった。いざとなったらね、退職金、使わなきゃいけないかと思ったりもしたんですけども、大丈夫でした、ハハハ。ここで非常に残念だったことがあります。92年4月に完成して、11 月に新潟日報文化賞というのがありますよね。この映画で日報文化賞欲しいと思って、シネ・ウインドの齋藤さんにお願いして推薦状を書いてもらって、日報文化賞に応募したんですよ。だけども、くれませんでした。当時の日報文化賞審査委員会の委員長は、新潟大学の学長の武藤先生でした。私も新潟大学の中で、『阿賀に生きる』製作資金をみんなにカンパで回っていたりしたんですけども、なんとなく居心地が悪いですね。まだあの当時は、水俣病はやっぱりタブー視されていたんだと思います。そのあとすぐに第24 回ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭賞、これ12 月にもらったんですよ。そのあと、すぐアースビジョン92年をもらいますし、バタバタッと12 月から賞をもらい始めるんですよ。だから僕は日報さんね、『阿賀に生きる』に日報文化賞くれていたらね、今ごろ、鼻が高かっただろうと思うんですけどね。さっき話してたのは、20年たってニュープリント作ったから、もう1回応募してみようかって。2008年に定年退職した年に、お前、頑張ってきたから、日報文化賞やるよって、私もらったんですよ。(一同笑い)大熊 実は、シネ・ウインドの齋藤さんや、もう1人、遠藤さんという元新潟日報の新聞記者の方が、うまく私の推薦状を書いてくれて、もらえたんですよね。だから、まあ、これで今のところ帳消しかなとは思ってるんですが、それは私の個人的問題ですからね。もう一度、ニュープリント作ったっていうことで、応募してみようか? 僕は審査委員長になれません、ハハ。もらった人は駄目、ハハハ、ということがありました。で、そろそろ遠藤さんに質問したいんだけども。遠藤 はい。大熊 毎朝、私、仕事場行くとき、ほんと短い時間だけど、遠藤さんの声を聞きながら行ってるんですけど、よく毎日これだけの時間気を張って、ちゃんと放送できるなと思うんですけど。秘訣は何なんですか?遠藤 秘訣は…晩酌、フ。私もお二人と一緒で、酒がエネルギーなんですよね、ほんとに。ですから、何があっても、締めくくりますね、うん。大熊 最近、泉田さんが知事になってから、熊本の水俣まで50周年のとき行ったり、それから、水俣病条例などいろんなことやり始めてから、僕は新潟がだいぶ変わったと思っているんです。しかし、まだそれほどでもないときに、あなたが新潟水俣病について関心を持った理由は何なんですか?遠藤 そうですね、あの、『阿賀に生きる』っていう映画はもう、この映画にほれた人たちが、いろんな所で上映活動されてきたと聞いてます。で、その中のメンバーの1 人に、あるとき、すごく面白いおじいちゃんがいるよ、っていうことで、歌がすごくUniversity of NIIGATA PREFECTURE 50