平成24年度新潟県立大学 公開講座

平成24年度新潟県立大学 公開講座 page 49/80

電子ブックを開く

このページは 平成24年度新潟県立大学 公開講座 の電子ブックに掲載されている49ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
第3回公開講座 阿賀野川流域と『阿賀に生きる』を語る言いたかったことは、1 万2,000年前からずっと人間の暮らしがありました。そしてちょっと頑張れば、阿賀野川は、今でもこんなでかいサケが戻ってくるわけです....

第3回公開講座 阿賀野川流域と『阿賀に生きる』を語る言いたかったことは、1 万2,000年前からずっと人間の暮らしがありました。そしてちょっと頑張れば、阿賀野川は、今でもこんなでかいサケが戻ってくるわけですから、自然を回復することも不可能でないだろうと思います。今、九州でダム撤去が始まってますけども、撤去できれば、もっと違った具合になるかもしれませんっていうことです。遠藤 はい。ということで、阿賀野川、ほんとに知らないこと、いっぱいでした。ねー、身近なことほど、ほんとに知らないんだなっていうことを、私、水俣病もそうでしたし、うーん、思いますね。さて、阿賀野川といえば、新潟水俣病ということが起こった場所でもあるわけですけども、その中でこの『阿賀に生きる』という映画ができて、お二人は『阿賀に生きる』という映画で、まさに出会われて親交を深めてこられた。私もドキュメンタリー番組を作るときに初めに見たのが、この『阿賀に生きる』という映画だったんです。はい、じゃ、旗野さんお話ししますか? やはりこの『阿賀に生きる』という映画のおかげで1,000万円の借金をされて…。旗野 あ、すぐ返せましたし。遠藤 すぐ返せました? よかったです。で、ほんとにこの、スタッフの名前のところに、旗野さんもそろそろ名前が出てもいいんじゃないですか、仕掛け人という形で? ねえ。ほんとに謙虚でいらっしゃるからと思うんですけども。大熊 ハクチョウが飛んだ映像が予告編の中にあったと思いますけど、これ作るの大変だったよね。そのときの説明して、僕、現場にいなかったから。旗野 正直言うと、この現場は私もいないんです。大熊 11 月15日が狩猟解禁日なんです。鉄砲がポンと一発鳴ると、阿賀野川にいたハクチョウが全部いなくなっちゃうんですね。そのときの映像です。旗野 これは、映画の途中の写真だと思うんですが、先ほどの餅屋の加藤作二さんと非常に親しくさせてもらってて、私が30のときにおじいさんが、「旗野さん、いくつになったの」。そんで、「30なった」。結局もう10年ぐらいのお付き合いをしてたわけですけど。「30にもなってまだ独りもんじゃ、かたわじゃないか。こんな水俣の運動なんかやめて、すぐまず嫁さん連れて、大工仕事ちゃんとやれ。そんでねば、もう寄せねえ」って言われました。21 歳ぐらいから「患者さんのため」みたいに、それなりに一生懸命やったつもりなんですけども、とてもかっこいいおじいさんだと憧れていたから、もう即、「はい、分かりました、嫁さん探してきます」って言って、すぐ嫁探ししました。たまたま、餅屋のおじいさんたちは、金婚式だったんですね。50年で。映画見てもらえば分かるんだけども、もう死ぬまで夫婦げんかしてるんですけど、ちゃんと思い合っているっていうか。で、新婚旅行ついていきたいとか言われて。だから新婚旅行と金婚旅行も一緒に行ったし、もちろん結婚式と金婚式も一緒です。子ども生まれたら、すごく喜んでくれて。うちの子どもたちは、自分の家がほんとはどこだか分からないくらい通わせていただきました。家族で記念写真撮るときに、みんなでピースサインしたら「こんな手踊りしながら写真撮るなんて初めてだー」と言ったおばあさんが次の日から寝たきりになっちゃうんですよね。映画ができた次の年におじいさんとおばあさん、死に別れて。神様、仏様、いるんだかどうだか分かりませんが、なんか目に見えない大きな力で支えられてるような気がしますし、私にとって、多くの患者さんと付き合わせてもらったけども、特にこの餅屋のおじいさん、おばあさんは、私の人生そのものを変えさせてくれた、とても大事な人です。大熊 みんな一緒に3 年間、寝泊まりしながら映画を作っていました。だから登場人物とも、ほんとに心が通っている中で、もう登場人物も、カメラを意識しなくてしゃべれるような、そういう中でこの映画ができたんですよね。遠藤 集まったスタッフの皆さん、何年かけて、どこに住んで、どんなふうな関係を築きながら、患者さんの近い位置で撮っていったんですか?旗野 1984年に、佐藤監督が「無辜(むこ)なる海」という、水俣の患者さんのドキュメンタリーフィルムを持って、東北を回るということで「新潟へ行ったら、旗野のところを訪ねれば、ただで酒飲めるし泊めてもらえる、と言われてきました」って訪ねてくれたんですね。それが私と佐藤さんの出会いでした。水俣に関わって、10年ほどたっていて、水俣病として認められなかった未認定の患者さんが相手でした。それがほんと理不尽で、早くに申請して、行政認定された人は1,000万とか1,500万もらう。でもいろんなことで、嫁に行けなくなるとか、うわさがあったりして、なかなか申請できない人がいたり、思い切って申請しても、症状の組み合わせとか蓋然性とかで、向こう側の都合で、おんなじように食べ47 University of NIIGATA PREFECTURE