平成24年度新潟県立大学 公開講座

平成24年度新潟県立大学 公開講座 page 42/80

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平成24年度新潟県立大学公開講座「阿賀野川流域から世界へ」に重視されていたようです。今年6 月に亡くなられました。旗野秀人さん。もう何回もお名前が出てきましたが、20代のころから40年近くずっと患者さんに寄....

平成24年度新潟県立大学公開講座「阿賀野川流域から世界へ」に重視されていたようです。今年6 月に亡くなられました。旗野秀人さん。もう何回もお名前が出てきましたが、20代のころから40年近くずっと患者さんに寄り添って一緒に歩んで来られた方で、映画「阿賀に生きる」にも登場されています。毎年5 月に安田で「阿賀に生きる」上映会を行っておられますけども、ある年、私も参加しましたが、結婚式に呼んでくれた例の教え子が子どもを連れて来てまして、物販コーナーにあるビデオテープを指して、「これ私のおばあちゃんのビデオだよ」って言います。見てみると、そのテープは「冥土のみやげ企画」制作、「企画、監督、旗野秀人」になってまして、患者さんの日常生活を記録して撮影したものです。彼女のおばあさんも患者さんだったわけですね。17分ぐらいの映像です。旗野さんはこの「冥土のみやげ企画」について、「20年、30年と家族のように付き合ってくれた高齢の患者さんが、次々と亡くなるものだから、残されたわずかな時間は皆さんが望むように今までの分とも楽しい思い出話をたくさんつくってあげたいと『冥土のみやげ企画』などと名乗っては仕掛けるようになったのである」と書かれています。涌わく嶋しま克かつ己み さん、通称WAKKUN。神戸御出身のイラストレーターで、絵本『阿賀のお地蔵さん』を出されています。これが主人公の少年ですけど、今流行りのテレビや映画のアニメの登場人物とはちょっと違う、独特の雰囲気の絵です。かわいいと言えるかどうかは分かりませんけれども、独特な絵ですね。 2005年「ふれあい館」での新潟水俣病公式発表40周年記念行事では、渡辺参治さんの歌に合わせてイラストを描くというパフォーマンスをやられていました。今年の7 月にも豊栄で画展を開かれたようです。東アジア、中国、韓国最後になりますが、私は一応中国関係のことをやっていますので、中国との関わりにも触れたいと思います。原田正純さんのご指摘によりますと、中国では1970年代後半から吉林省の第二松花江という川の流域で水俣病と同様の水銀中毒の症状の病気が見られたということです。しかし症状が日本の水俣病ほど重症ではなかったそうです。現在中国は急速な経済発展の中で環境汚染が深刻化しています。2006年、中国の西安で中国と日本、韓国のNGOによる第3 回「東アジア環境市民会議」が開催され、旗野さんも参加されたそうで、公害被害者の人々と交流して新潟水俣病の経験を語られたそうです。その2 年後の2008年10月、第4 回の同会議「阿賀から東アジアへ」が新潟市で開催されています。私自身は参加していませんが、記録集が発行されています。新潟水俣病経験の報告、中国安徽省を流れる淮河の汚染と、民間グループ「淮河衛仕」の汚染除去への参加、政府の汚染処理政策への提言、医療活動などが報告されています。このように新潟水俣病の患者さんと中国、韓国など、東アジアで公害問題関係者の交流が始まっており、水俣病の経験がアジアに向けて発信されつつあるようです。中国に関わる者として、何かお手伝いできたら、と考えています。語り部さんの話に戻りますが、こういう言い方は不謹慎だと言われるかもしれませんが、語り部さんの語りは、アーティストのライブとか古典の落語みたいに、確かに一度聞いた内容なんですけども、また聞いてみたくなるような、そんなものを持っているように感じます。また結構冗談を交えて話をされます。手足がしびれて食事の仕度のとき包丁がうまく使えなくて、爪の先、指の先をしょっちゅう切ってしまう。ある日カレーを作ったけれど、お孫さんが、「ばあちゃん、今日のごはんは何ね?」と言うんで、「今日は、ばあちゃんの肉入りカレーだよ」って言うと、お孫さんが「食いたねー(食いたくねえ)」と言った話とか、そういうギャグなんかも織り込んでお話をしていただけます。こういう患者さんが少しでも楽に、楽しく生きられたらという旗野さんの考え方にも共鳴しますし、今後も務めてそういう集まりに出たり、学生を誘ってみたいと思います。ちょっと時間が超過しましたが、「ドンパン節」を少しだけ聞いていただきます。[渡辺参治さんの「ドンパン節」の録音テープの音声]私の話はここまでにさせていただきます。University of NIIGATA PREFECTURE 40