平成24年度新潟県立大学 公開講座

平成24年度新潟県立大学 公開講座 page 41/80

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第2回公開講座 新潟で水俣学を継承する間おられて、児童心理学を担当されていた方です。金田さんは、短大近くに住む新潟水俣病の唯一の胎児性患者(お母さんのお腹の中にいるときに中毒になった方)古山知恵子さん....

第2回公開講座 新潟で水俣学を継承する間おられて、児童心理学を担当されていた方です。金田さんは、短大近くに住む新潟水俣病の唯一の胎児性患者(お母さんのお腹の中にいるときに中毒になった方)古山知恵子さんを訪ねて診断し、短大の学生と一緒に知恵子さんの成長発展を理解してその発展保障をしようと取り組まれた方です。週に一度学生と一緒に知恵子さんを訪ねて診断し、一緒に遊ぶという方法でリハビリに努めて、いろいろな困難を乗り越えて児童療養センターへの入園に至ります。当時短大には附属幼稚園がなく、附属幼稚園が欲しいという学生の希望と、友達と一緒に遊びたいという知恵子さんの希望を合わせて附属幼稚園作り運動に取り組まれたそうです。結局、附属幼稚園は金田さんが短大から名古屋の大学に移ってからできたそうで、知恵子さんも入園の対象外になっていたそうですけども、知恵子さんはその後、県立養護学校に入学し、高等学校教育まで受けて、手足不自由で車いす生活で、声を発するのができないとのことですが、作業所で仲間と水俣病運動と障害者の発達保障に取り組まれているということです。大熊孝さん。NPO「新潟水辺の会」の代表、新潟大学の名誉教授でもあられ、次回のこの講座に来られる方です。2000年の7 月に開催された「阿賀野川の過去、現在、未来」という講演で大熊さんのお話を聞かせていただきました。お話の具体的な内容は忘れてしまいましたが、お話を聞いたあと、川というものについて考えさせられました。思うに、川は一つの地域において、人間の体における血管みたいなものではないかと。血管は体に必要なものを運び、不要なものも運んで排出します。川も地域にとって必要なものを運び、不要になったものを運びます。血液の流れが異常をきたすとその人の体も異常をきたし、川の流れが正常でなくなると、その地域も正常でなくなり災害などを引き起こす。血液の流れの状態を見ることでその人の体の健康状態が分かりますけれど、川の流れの状態を見ることでその地域の状態が分かるのではないか、そんなことを考えました。それ以降、車や電車に乗って川を渡るとき、必ず川を見る癖がついてしまいました。旅行に行ったとき、必ず川の写真を撮るようになってしまいました。原田正純さん。水俣病研究の第一人者で、熊本大学医学部の研究班で、胎児性水俣病の原因をつきとめ、一貫して患者さんの立場に立って研究治療を行い、裁判でも証言をされた方です。1999年に熊本学園大学に移られています。国とチッソの対極に立たれたためか、熊本大学ではとうとう教授になれなかったようです。今年の6 月11 日にお亡くなりになりました。原田さんのお話で印象に残っているのは、原田さんは「初めから水俣病をやろうと思っていたのではない」そうで、水俣病への取り組みは、最初は指導教官から水俣に行くように言われたからだそうです。しかし現地では、患者さんたちに拒絶されてしまいます。当時若かった原田さんは、「大学病院からわざわざ来て、患者を診てやる」というような「生意気な考え方」をもっていたそうです。患者さんたちは「新聞記者も来く っとだろ? 熊大の先生も来るな!」と言って、隠れて、雨戸を閉めて、原田さんは追い返されてしまった、というエピソードを語られています。私たち大学関係者、研究者と言われる者にとって、とても重い意味を持つエピソードだと思いました。さらに、患者さんがよく「先生、昭和35年に水俣病が終わったという根拠は何ですか?」と言うので、原田さんが「35年以降患者が出ておらんでしょう。」と言うと、「先生たちは調べもせんで、どうしてそんなことを言えますか? 魚は海の真ん中におるじゃないですか。それをこっちから来て、こう取って、こっちに持って帰ったら毒になって、こっちから来て、こう取って、こっちに持って帰ったら毒にならんて、どういうことですか? どうしてこっち側では患者がおらんのですか?」というふうに患者さんから言われた。要するに海には境界線は無く、魚は西にも東にも泳ぎ回るわけです。これは先ほど河田君が発表した御所浦のことを言っていて、みんな水俣とか出い ずみ水とか東側の海岸のほうばっかりを重要視していて、対岸を注意して調査していなかった。患者さんにこのように言われて原田さんはハッと思いつき、魚は自由に泳ぎ回るから、対岸にも行っても当然じゃないかということで調べたところ、やはり患者さんが見られた。先ほどの発表で御所浦の患者さんの発見が遅れたというのには、こういうことがあった。みんな東の水俣とか鹿児島寄りのことしか考えてなかった。こういったことから原田さんは、現場に行ってみることの重要さ、現場に立ってみないと解決方法が分からないと。当事者に当たり、当事者の視点に基づくということを非常39 University of NIIGATA PREFECTURE