平成24年度新潟県立大学 公開講座

平成24年度新潟県立大学 公開講座 page 34/80

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平成24年度新潟県立大学公開講座「阿賀野川流域から世界へ」ると思います。今回の発表のために、これらの文献を参考にしました(パワーポイントで示す)。また、御所浦の島民の荒木さんという方に御所浦町誌、町だよ....

平成24年度新潟県立大学公開講座「阿賀野川流域から世界へ」ると思います。今回の発表のために、これらの文献を参考にしました(パワーポイントで示す)。また、御所浦の島民の荒木さんという方に御所浦町誌、町だよりなどの資料を見せていただき、詳しくお話も聞かせていただきました。現在の御所浦の環境は改善されて猫がくつろいでいる様子が多く見受けられました。以上で私の発表を終わります。ありがとうございました。<第2部> 新潟水俣病の患者さんのお話を聞いて司会 ではこれより第2 部といたしまして、本学教員で中国文学をご専門にしておられます後藤岩奈教授よりご講演いただきます。後藤先生は長崎でお生まれになり、そのあと福岡へ移住なされました。そして1969?1978年までの9 年間、5 ?14 歳までの間、熊本で暮らしております。その時より不知火海で発生した水俣病に関心を抱き、本学の前身校である県立新潟女子短期大学に教員として赴任された1997年以降は、新潟水俣病への関心を深めてこられました。今回は、水俣病に関わる個人的な体験等を交えながら、水俣病の患者さん、そして患者さんを支えた人々の活動について、お考えになってきたことを「新潟水俣病の患者さんのお話を聞いて」という題目でご講演いただきます。では、後藤先生、よろしくお願いいたします。後藤 只今ご紹介にあずかりました新潟県立大学の教員、後藤岩奈と申します。ご紹介にもありましたとおり、私の専門は中国関係で、中国語の教育と中国の近現代文学を専門としております。なので、新潟水俣病の問題とは直接関係ないことを専門分野にしております。「水俣病の専門家でもない者が、なんで新潟水俣病の話をするのか」と言われてしまいそうですけども。今回の公開講座でお手伝いさせていただくことになり、司会をされている小谷先生の方から「話をしてはどうか」ということになりました次第です。今回の講座でお話をするにあたって、まず、どうして専門家でもない私が、新潟水俣病に関わろうと思ったのか、自己紹介ではありませんが、自分自身の経歴と併せて述べさせていただきます。なぜ新潟水俣病の問題を知ってゆこうと思ったのか私は1963(昭和38)年九州の長崎で生まれました。その直後、国家公務員をしていた父の仕事の関係で福岡に移り、69年、5 歳のとき熊本に引っ越しました。父親が九州各地の農業試験場に転勤したためです。熊本には69?77年までの9 年間、5 ?14 歳まで、幼稚園から中学2 年までいました。熊本市の北部に隣接する菊池郡西にし合ごう志し 町というところで、現在は合こう志し 市になっています。熊本南部の海沿いの町水俣には行ったことはなく、当時水俣には直接関わりはありませんでした。しかし70年代初め、水俣病の患者さんの裁判が行われており、テレビのニュースでよく報道されていました。またNHK熊本放送局製作の水俣病関係のドキュメンタリー番組がテレビで放送されていました。中学生のとき、学校の文化祭で土本典昭監督の記録映画「水俣病─その20年」の上映会がありました。これは先生方が企画したもので、体育館で見ましたが、内容はよく覚えていません。水俣病とは直接関係ないですが、私の自宅から割と近いところに、ハンセン病(以前はライ病と言ってました)の療養施設「恵楓園」がありました。小中学生のころ、よくケーフエン、ケーフエンとか言って、広い敷地内に入ったりしていました。奥の入口にはマイクが内装された小さな棒のようなものが立っていて、オルゴールのような悲しげな音楽を流していました。目の見えない方を誘導する施設のポールだったようです。また西日本は、いわゆる被差別部落(その中で特御所浦町誌・町だよりUniversity of NIIGATA PREFECTURE 32