平成24年度新潟県立大学 公開講座

平成24年度新潟県立大学 公開講座 page 31/80

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第2回公開講座 新潟で水俣学を継承する俣病患者さんたちが働くためのキノコ工場であったと、現地で手に入れた資料に記されていました。この考証館には水俣病資料館とは違い、抗議運動で使われたゼッケンや、水俣病....

第2回公開講座 新潟で水俣学を継承する俣病患者さんたちが働くためのキノコ工場であったと、現地で手に入れた資料に記されていました。この考証館には水俣病資料館とは違い、抗議運動で使われたゼッケンや、水俣病の原因である物質を探すために猫を使って実験した際の檻などが展示してありました。このような展示や資料収集を、患者さんや市民の方々、県外の活動家の人たちが今でも関わって続けているそうです。「水俣病歴史考証館」という名前は、水俣病患者の患者連盟の委員長で、水俣市議会議員でもあった川本輝夫氏がつけました。どうして資料館や博物館という名前ではないのか。職員の説明によれば「博物館や資料館と名づけるということは、水俣病を終わったこと、過去のことにしてしまう。水俣病を終わらせるのではなく、この先もずっと考えて証明していく場所をつくる」という思いを込めて、「歴史考証館」と名づけたそうです。先ほどの市立の水俣病資料館もこの市民が作った水俣病歴史考証館も、同じ水俣病の記憶を継承するための場所ですが、運営する母体の違いによって展示方法が違うことを知り驚きました。この違いを乗り越える試みの場が、歴史考証館の近くにある「もやい直しセンター」です。「もやい直し」という言葉は、人々のバラバラになってしまった絆をつなぎあわせる、気持ちをつなぎ直すという意味で、水俣再生の合言葉として使われています。もやい直しの一環として行われているワークショップやイベント、学習会などによって、今まで対立していた行政や市民、患者さんなどが顔をあわせて話し合う機会が増えているそうです。また、もやい直しというのは人々の間だけではなくて、人と環境との間でも行われています。今、水俣市は人と環境のもやい直しとして、エコにこだわったまちづくりを行っています。その結果、環境首都の賞を獲得したり、環境モデル都市の認定を受けることになりました。もやい直しセンター周辺のエコタウンでは、環境共生のモデル型住宅の建設が進んでいます。太陽光発電システムの導入推進といった事業を展開しているそうです。環境を破壊された町だからこそ、環境の再生が地域の立てなおしに直結することになります。以上が、私たちが水俣周辺を歩いて見てきたものです。水俣市内ではこのように国や県、市、そして患者さん、市民の方々や活動家など、さまざまな団体や人々が水俣病という記憶を継承していくための試みを行っていることがわかりました。記憶を継承するための形態や方法にはいろいろなものがありましたが、すべてに共通するのは「水俣病を繰り返さないために記憶、記録を風化させずに残そう」という想いです。そのためにも壊れてしまった人々の関係をもう一度つなぎあわせるため、もやい直しというキーワードを活用し、地域が新しく動き始めていることがわかりました。現在、水俣市が水俣病を教訓に環境にこだわったまちづくりを行っているように、同じ水俣病の発生した新潟も、もっと環境に力を入れてもよい気がしました。また、水俣病歴史考証館に行って強く感じたのは、やはり新潟水俣病を終わらせてはいけないということです。そのために新潟で暮らす私たちにできることは、新潟水俣病について積極的に学び、考え続けていくことだと思いました。以上で私の発表を終わりたいと思います。ご静聴、ありがとうございました。司会 渡邉さんからは、「記憶」における水俣市の取り組みを紹介していただきました。では、続きまして河田翔太郎さんから、水俣市の対岸にある天草市の御所浦町、水俣市の対岸にある島への旅をとおして考えることになった「経験」について発表していただきます。対岸の水俣病─御所浦の経験を学び直す河田 まず私が水俣病に関心を持ったきっかけをお話しさせていただきます。私は昨年に起こりました、東日本大震災とそれに伴う原発事故が話題になったことで、環境や社会と科学技術との関係に興味を持ち、原発の問題と比べて語られることが多い水俣病にも興味を持つようになりました。そのような経緯で、今後さらに水俣病について詳しく学びたいと思い、今回の水俣病現地調査に参加させていただきました。私は、「対岸の水俣病─御所浦の経験を学び直す」というテーマで、不知火海に浮かぶ御所浦という小さな島においてどのように水俣病が拡大したのか。またその経験を活かしていくにはどうすべきか、という観点から調査いたしましたので、その結果を発表したいと思います。29 University of NIIGATA PREFECTURE