平成24年度新潟県立大学 公開講座

平成24年度新潟県立大学 公開講座 page 29/80

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第2回公開講座 新潟で水俣学を継承するれています。当時は、水面が排水で七色に輝いていたそうです。そしてこれが、私たちが見た、現在の百間排水口です。現在の水は七色に光ることもなく、とてもきれいでした。も....

第2回公開講座 新潟で水俣学を継承するれています。当時は、水面が排水で七色に輝いていたそうです。そしてこれが、私たちが見た、現在の百間排水口です。現在の水は七色に光ることもなく、とてもきれいでした。もちろん工場から水銀を含む排水は流されていません。今は工場排水よりも家庭から出る生活排水が水路を汚しているとの説明が案内板にありました。先ほどの丸山さんの発表で出てきた阿賀のお地蔵さんは、この案内板のすぐ隣に座っています。この百間排水口から排水が流されたことによって、水俣病の多発地帯となったのが月浦、湯堂、茂道の3 つの地域です。月浦は1956年に第一患者が発見された場所で、湯堂では胎児性の患者さんが多く発見されました。そして茂道ですが、2007年の段階で一番認定患者の多い地域になっています。この3 つの地域にはとにかく船がたくさんあって、今でも漁業と地域住民の密接な結びつきがあることがわかりました。写真のように船から降りてきた漁師さんたちが、夕暮れの時間を並んで座って、おしゃべりして過ごしていたのがとても楽しそうで印象的でした。夕方になり、私たちは鹿児島県まで足をのばし、出水市の米ノ津という場所を訪れました。ここには水力発電所があり、もともとチッソはここに工場を建てようとしていました。しかし、水俣市の熱烈な誘致によって工場が水俣にできることになったそうです。工場は水俣にできたのですが、米ノ津でも水俣病患者が発見されます。これを機に水俣病は、水俣市だけの病気ではないということを人々が知るようになりました。以上が水俣病をたどって私たちが一日目に訪れたところです。排水口や工場、そして人々の暮らす地域は今も変わらず存在し続けています。しかし変わってしまった場所もありました。それがここ、エコパーク水俣です。汚染のひどかった水俣湾を埋め立てて造られた公園です。ここは、水銀を含むヘドロや汚染された魚をドラム缶に詰め込んで埋め立てられたため、魚の墓場とも言われています。このエコパーク内には様々なモニュメントがありました。例えば、ここには「水俣病慰霊の碑」と「魂石」と呼ばれるものがあります。慰霊の碑は、水俣病の認定患者さんたちの一部の名簿が刻まれていますが、国が造ったものです。一方、その周辺に散らばるように置かれている魂石は、水俣病の患者さんや水俣病で家族を亡くされた方たちの手によって作ら百間排水口(写真は筆者撮影以下同じ)茂道の漁師たちエコパーク水俣27 University of NIIGATA PREFECTURE