平成24年度新潟県立大学 公開講座

平成24年度新潟県立大学 公開講座 page 26/80

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平成24年度新潟県立大学公開講座「阿賀野川流域から世界へ」ん。この「私は新潟病と言いたい」というのは、熊本を訪問したときに農家の方に会って案内してもらっているときにふとポロッとその方が口に出した一言なの....

平成24年度新潟県立大学公開講座「阿賀野川流域から世界へ」ん。この「私は新潟病と言いたい」というのは、熊本を訪問したときに農家の方に会って案内してもらっているときにふとポロッとその方が口に出した一言なのですが、もし新潟水俣病が新潟病だったとしたら、新潟と名前の付くものが売れなくなったりするような風評被害が、かつての熊本同様に起こり、そのことに拍車がかかってしまっていたかもしれませんし、その情報だけが拡がっていったとしたら、差別なども起こっていたのではないかなというように感じます。「水俣の地名をもらった新潟」ということで、水俣病発生当時、水俣出身というだけで差別され、結婚もできなければ、水俣の名で野菜は売れないという状況もあったと言います。つまり、新潟水俣病の被害が発生した地域に当たるような病名であれば、そこの住民というだけで差別が起こっていたかもしれないということを感じています。この写真は特に関係ないのですが、水俣市の中心にある、ショッピングセンターのM’s CITY、エムズというのは多分MINAMATAの頭文字のMのことだと思うのですが、水俣市の中心にドンとありました。そして、ここからは、『地元学をはじめよう』という文献をもとに、水俣病や新潟水俣病について考えていきたいと思います。こちらは、吉本哲郎さんという方が書かれた書籍です。そちら(会場最前列の机上)にも、水俣病についての関連書籍、資料などがたくさん置いてあるのですが、講座が終わりましたら、目を通していただければ幸いです。それでその内容なのですが、水俣市は2004年、2005年と、日本の環境首都コンテストで総合1 位という成績を残しています。しかし、以前の水俣の地域社会は先程も言ったように水俣病の差別などで困難の極みにありました。「ないものねだりよりも、あるもの探しを」ということで、水俣市は水俣病の犠牲を無駄にしないよう、環境都市「水俣」を住民協働で作り上げることで、再び立ち上がりました。市民は、胸を張って「私は水俣出身だ」と言えるようになったといいます。これは、市民が行政と一体となって、ないものをねだるのではなく、今そこにあるものを自らが探し、磨いた結果であると言えるのではないでしょうか。さて、「地元学を通して見つけた宝物」ということで、水俣市で地域住民が地元を調べていた中で、和ろうそくの原料となるハゼの生産量が日本国内における30%を占めていることが分かり、和ろうそく作りが始まったそうです。ところで、ハゼってなんだっていう方もいるかもしれないので、そのハゼについての説明をしていきたいと思います。ハゼの木から取れるハゼろうは、和ろうそくの原料となります。どうしてこの水俣にハゼの木がたくさん植えられているのかというと、水俣は温暖湿潤で水はけの良い土壌を持っていて、根腐れせず、ハゼの木栽培に適しているそうです。江戸時代からこの月浦地区はお殿様の直轄地としてハゼの木が栽培されていたそうです。ハゼの和ろうそくというものはとても高級品だったらしく、一般の市民は使わなかったそうです。一般の市民は菜種油みたいなものに、火をつけて明かりにしていたそうです。つまり一般の市民の生活必需品だったわけではないそうなのですが、この周辺がお殿様の直轄地域だったからこそ、ハゼ樹齢300年を越える大ハゼの木M’s CITYUniversity of NIIGATA PREFECTURE 24