平成24年度新潟県立大学 公開講座

平成24年度新潟県立大学 公開講座 page 13/80

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第1回公開講座 バスツアー 阿賀野川流域を知る旧国道7 号、現県道3 号の泰平橋では晴れ間があったため、バスを降りて右岸に経つ記念碑を読みました。この風景が翌10月8 日の新潟日報で紹介されました。●灰塚付....

第1回公開講座 バスツアー 阿賀野川流域を知る旧国道7 号、現県道3 号の泰平橋では晴れ間があったため、バスを降りて右岸に経つ記念碑を読みました。この風景が翌10月8 日の新潟日報で紹介されました。●灰塚付近阿賀野川上流では蛇行している阿賀野川ですが、平地を流れる下流でも、屈曲している箇所がいくつかあります。灰塚付近はその際下流。ここで堤防が切れてしまうと、上流からの水はまっすぐ福島潟に向かい、葛塚の市街地を水に沈めることになります。だからこの付近、堤防の厚さが違います。また、周辺部には堤防に異常があったときに備えるように、水防用の資材が備え付けてあります。正面の川の中にも水流を弱めるための石積み(ベーン工法)が見えます。このすぐ上流には水原から笹神を潤している安野川の水門があります。この水門、屈曲部の手前上流部にありますから、洪水時に開けばここから安野川に阿賀野川の水を逆流させることで、堤防への負担を軽減させる信玄堤(霞堤)の役割を果たすのかも。安野川は周辺の他の川よりも水位が高く、付近の用水路等の上を立体交差して流れているからです。頑丈な水門を車中からちらりと見つつ、阿賀野川の堤防から周辺の地形を読んでみます。●若松街道・京ヶ瀬付近阿賀野川の堤防道路を離れるのは横雲橋で。横雲橋は新潟水俣病の歴史を振り返るとき、重要なポイントでした。新潟水俣病が認知されて当時、この横雲橋よりも下流の区間だけに、魚の漁獲制限がかかったからです。もちろん、原因がわかった今からすればもっと上流から規制をすればよかったと言うのは簡単かもしれません。しかしなぜそうなったのかを考えると、川で漁をする川漁師がいて、だれもが釣をして阿賀野川で遊んでいたということを想い出す必要があるでしょう。ただ、どうして横雲橋からだったのかな、というのまでを調べていません。このあたり、石油やガスが出ます。ひょっとしたらそういうことが原因と考えていたのか? また、阿賀野川の流域そのものが、さまざまな地下資源が採掘されていたところ。色々考える出発点として、横雲橋を見た上で、帝国石油のプラントの脇を通る遠回りをした上で、福島潟に戻るルートを選択しました。なお、時間があれば水原市街地の越後府跡(旧新潟県庁=元市島邸)や阿賀野川氾濫原の一つ、瓢湖新潟日報切り抜き灰塚看板安野川水門11 University of NIIGATA PREFECTURE