function columnLoad(x){column = new Array;/* トップ用最新コラム */if (x == 0) {column='<dl id="column-new">' +'<dt>「米百俵の地方大学に目を」</dt>' +'<dd>(平成21年7月10日　読売新聞掲載)</dd>' +'<dd class="gakuchodate"></dd>' +'<dd><br>　深緑も雨ごとに鮮やかになっています。雨のなかの深緑をみると、生命が新たに生まれているような感じがします。同じように、子供たちが勉強や運動を重ねるごとに新しい人間が生まれたと感ずるのは私だけでしょうか。<br>　この春、故郷の新潟で県立大学が新設され、縁あって学長を引き受けました。私は本学を「米百俵の大学」といいます。その意味を少し説明させてください。地方の大学の苦境と、素晴らしい発展の展望をわかっていただければと思います。<br>　明治維新につながる戊辰戦争で長州、山県有朋に率いられた軍隊は長岡、河井継之助率いる軍に壊滅的打撃を与えました。長岡の惨状を見て、隣接する三根山藩から送られたのが米百俵。河井戦死後の長岡の指導者、小林虎三郎は、米百俵を食べてしまえばすぐなくなる、しかし次の世代を教育する学校をつくれば、開明的で進取的な若者が増えて長岡の将来は明るくなる、と説得し、米を売ったお金で学校を作ったのです。<br>　私はこのような教育が最も高い優先順位をもつという主張に賛成です。人間のなすことすべて人間次第です。開かれた考えをもち、問題を解決する能力をもつ人がたくさんいれば、それだけ社会は幸せになります。その逆ならば、社会は不幸せになります。<br>　地方の大学は当時の長岡のような状況に置かれています。米百俵以外はほとんど何もないのです。施設も教職員も不十分です。ましてお金はないのです。新潟県立大学が米百俵の大学というのはこの意味です。<br>　同時に、米百俵の大学は明るい未来をもっています。学生の瞳は志願者倍率10倍の競争を越えて、新しい人生を切り開く希望で輝いています。教職員もこれ以上悪くなることはないと将来を展望し、一生懸命に一人一人丁寧に学生に教えています。学生と教員の比率は３対１です。<br>　大臣閣下、日本の大学は岐路に立っています。帝国大学の時代はとうの昔に終わりました。大地に根ざし、ひとりひとりの人間的発展を目指した県立大学の時代がこなければなりません。閣下のご理解をいただければ日々呻吟（しんぎん）している地方の大学人にとってこれに優る（まさる）幸せはありません。<br>■質問や要望をお寄せください。<br>Email:<a href="mailto:unp@unii.ac.jp">mailto:unp@unii.ac.jp</a></dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dd>Copyright (c) Takashi Inoguchi All rights reserved.</dd>' +'</dl>';/* コラム一覧 */} else if (x == 20) {column='<dl id="column">' +'<dt>「米百俵の地方大学に目を」</dt>' +'<dd>(平成21年7月10日　読売新聞掲載)</dd>' +'<dd class="gakuchodate"></dd>' +'<dd><br>　深緑も雨ごとに鮮やかになっています。雨のなかの深緑をみると、生命が新たに生まれているような感じがします。同じように、子供たちが勉強や運動を重ねるごとに新しい人間が生まれたと感ずるのは私だけでしょうか。<br>　この春、故郷の新潟で県立大学が新設され、縁あって学長を引き受けました。私は本学を「米百俵の大学」といいます。その意味を少し説明させてください。地方の大学の苦境と、素晴らしい発展の展望をわかっていただければと思います。<br>　明治維新につながる戊辰戦争で長州、山県有朋に率いられた軍隊は長岡、河井継之助率いる軍に壊滅的打撃を与えました。長岡の惨状を見て、隣接する三根山藩から送られたのが米百俵。河井戦死後の長岡の指導者、小林虎三郎は、米百俵を食べてしまえばすぐなくなる、しかし次の世代を教育する学校をつくれば、開明的で進取的な若者が増えて長岡の将来は明るくなる、と説得し、米を売ったお金で学校を作ったのです。<br>　私はこのような教育が最も高い優先順位をもつという主張に賛成です。人間のなすことすべて人間次第です。開かれた考えをもち、問題を解決する能力をもつ人がたくさんいれば、それだけ社会は幸せになります。その逆ならば、社会は不幸せになります。<br>　地方の大学は当時の長岡のような状況に置かれています。米百俵以外はほとんど何もないのです。施設も教職員も不十分です。ましてお金はないのです。新潟県立大学が米百俵の大学というのはこの意味です。<br>　同時に、米百俵の大学は明るい未来をもっています。学生の瞳は志願者倍率10倍の競争を越えて、新しい人生を切り開く希望で輝いています。教職員もこれ以上悪くなることはないと将来を展望し、一生懸命に一人一人丁寧に学生に教えています。学生と教員の比率は３対１です。<br>　大臣閣下、日本の大学は岐路に立っています。帝国大学の時代はとうの昔に終わりました。大地に根ざし、ひとりひとりの人間的発展を目指した県立大学の時代がこなければなりません。閣下のご理解をいただければ日々呻吟（しんぎん）している地方の大学人にとってこれに優る（まさる）幸せはありません。<br>■質問や要望をお寄せください。<br>Email:<a href="mailto:unp@unii.ac.jp">mailto:unp@unii.ac.jp</a></dd>' +'<dt>「東京青山同窓会会報に寄せて」</dt>' +'<dd>(東京青山同窓会会報　会長挨拶)</dd>' +'<dd class="gakuchodate">(2009.5.20記事）</dd>' +'<dd><strong>会長挨拶</strong><br><br>　春たけなわのこと。葉が開かないうちに、花が咲く桜は華やかに咲きこぼれるので、皆が大騒ぎする。その短い開花に人は意思の強さと人生の儚さを感ずる。桜ほどには気がつれない花もまわりに沢山ある。そのなかでひときわ目立つのはタンポポではないだろうか。葉が地面に這うように円状にひろがっている。花は黄色。いくつもの花が群生する。しかも根が丈夫で、越年してまた翌年生えてくる。さらに花が咲いたあと、種は綿毛とともに空に舞い、離れたところにまた生命を繋げる。これほど強く、飛躍する花も珍しいのではないだろうか。アスファルトの道路の亀裂にタンポポは花を咲かせる。マンションの屋上のコンクリートの隙間に花を咲かせる。これほどしぶとい花もないのではないか。米国国務長官ヒラリー・クリントン氏は自伝で言っている。Bloom where you are planted.<br><br>　その通り。タンポポはまさにそれではないか。ひとそれぞれ育ったところは違う。<br>　しかし、違った境遇のなかで、ベストを尽くして花を咲かせる。それがタンポポである。<br>　東京青山同窓会会長を拝命するのと時を同じくして、この4月から新潟県立大学の学長になった。新入生は２５５名である。その顔を思い出しながら、卒業後どのような人生を辿るのか想像する。私が切に思うのはどんな困難に遭遇してもタンポポのように花を咲かせてほしいということだ。タンポポのよいところは一輪だけ一人寂しく咲いているという感じでないことである。タンポポのよいところは境遇を超えて明るく強く咲くことである。<br>　母校青山のOBもそれぞれに社会に大きな花を咲かせていることと思う。東京青山同窓会がさらにその一助となることを願い、微力ながら会の発展に尽くしたい。会員の皆様、よろしくお願いいたします。<br><br>■質問や要望をお寄せください。<br>Email:<a href="mailto:unp@unii.ac.jp">mailto:unp@unii.ac.jp</a></dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dt>「新潟県立大学開学記念式典に寄せて」</dt>' +'<dd>(2009年4月23日、新潟県立大学開学記念式典式辞)</dd>' +'<dd class="gakuchodate">(2009.4.23記事）</dd>' +'<dd><strong>式辞</strong><br><br>　本日、久保公人（くぼ・きみと）文部科学省大臣官房審議官、及び、泉田裕彦（いずみだ・ひろひこ）新潟県知事をはじめとする御来賓の方々の御臨席のもと、新潟県立大学開学記念式典を開催できますことは、大きな喜びであり、当大学を代表して深く感謝申し上げます。<br><br>　新潟県立大学は、創造的な教育研究活動を通じた地域の復権を実現するため、今ここに開学いたします。<br>　言うまでもなく、大学の基本は教育、すなわち人材の育成であります。ここで新潟県立大学が目指す人材育成の在り方について、述べさせていただきます。<br>　急速に進展するグローバル化は、国という壁を取り払い、経済はもとより、政治、文化に至るまで地球を一つの単位として展開し、それぞれの国や社会のあり方を根本的に変えようとしています。<br>　このグローバル化とは、国家単位ではなく、地球規模で物事を考える仕組みであり、これからの地域づくりの担い手には、語学力やグローバルな視野といった国際性、地域への深い理解と国内外を問わず人と人との交流・共生を進める際に大切な豊かな人間性が求められております。<br>　新潟県立大学ではその実現に向けて、次の三点を大学の理念として掲げています。<br>　まず、理念の第一は、「国際性の涵養」であります。<br>　東アジア諸国との交流の拠点として、世界各国との交流の推進による地域の再生を図る新潟県においては、国際共通語である英語はもとより、東アジアの言語を修得し、異文化理解を深め、国際性を育むことが求められております。また、地域社会の国際化や国境を越えた環境問題など、地域における課題であっても、グローバルな視野をもって対処すべき課題が多くなってきております。<br>　これに対応するため、東アジアをはじめとする世界の人々との歴史的繋がりや、現在の文化的・経済的状況を適確に理解するとともに、これら諸国との交流促進を目指し、グローバルな視点からの教育・研究を進めてまいります。<br>　理念の第二は、「地域性の重視」であります。<br>　グローバル化する地域社会にあって、地域の特色や強みを生かした産業の発展や、地域づくりを行うためには、自然環境や伝統文化、生活文化などの特性を理解し、「自文化」を見直すことが求められます。<br>　新潟県立大学では、そのカリキュラムの中に、「新潟学」という科目群を設けています。地域の自然環境、歴史や伝統文化の中に新たな資源を見いだし、これを活用することにより、その地域にあった地域振興を図っていくことが重要であるとの認識のもと、地域の課題と連動した教育を行うことにより、地域への深い愛情と理解を持って、地域づくりを担うことのできる人材を育成していきたいと考えております。<br>　理念の第三は、「人間性の涵養」であります。<br>　地域づくりの根幹は、人づくりです。地域の人々を結びつけ、共に生きていく社会を創りだすために、人間性豊かな人材が求められております。新潟県立大学の特色として、学生に対する教員の比率が高いことが挙げられます。これを活かして、教員と学生の人間的交流を大切にしながら、豊かな人間性を培うために、学生一人ひとりに対してきめ細やかな教育を行い、学生同士が切磋琢磨し学び合う環境を創っていきたいと考えております。<br>　米国務長官ヒラリー・クリントン氏は、Bloom Where You Are Planted　と自伝で両親の教えを語っています。そうです。どこに育っても、春の到来を告げ、力強くしかし明るく咲き乱れるタンポポを思い出してください。タンポポはアスファルトの道路の亀裂からも花を咲かせます。コンクリートのビルの継ぎ目にもタンポポは生きるのです。花のあとは種が綿毛とともに四方に飛び出し、又新しい活躍の場所を見つけます。Bloom Where You Are Planted　一人一人様々な個性を発揮できるように手助けするのが新潟県立大学です。学生が一人前の強い社会人となるのを案内し、善導するのが新潟県立大学です。そしてこのことを通して、新潟県の地域振興と国際的展開のひとつの軸とするのが新潟県立大学です。<br>　人づくりなしには地域振興はありえないのです。郷土の偉人、小林虎三郎もいっているではないですか。教育こそが第一のプライオリティでなければなりません。それはひとりひとりの教員すべてが、一人ひとりの新入生の気持ちを理解しようとし、目標を設定する時に助けの手を差し伸べ、悩みの解決に耳を傾け、学ぶ気持ちが挫けないように優しくしかし厳しく教えることからはじめなければなりません。<br>　まず、新潟県立大学は、どんなに不確定性が高くても、しっかりと調査した上で、適確に判断し、行動できる能力を有する人材を育成します。<br>　繰り返しになりますが、グローバル化とは、国家単位で考えるだけでは物事がわからなくなる仕組みを意味します。そして、急速にグローバル化する社会においては、初めて会った人とでも、共同行動できるような信頼関係を創り出すことが不可欠となります。日本語であれ英語であれ、相手を理解するとともに、説得できる自己表現力を確実に身に付けた人材を育成します。<br>　おわりになりますが、新潟県立大学の創立にご尽力、ご協力くださった方々に感謝するとともに、今後とも皆様方から当大学の発展にご支援を賜りますようお願いし、私の式辞といたします。<br><br>　　平成２１年４月２３日　新潟県立大学学長　猪口　孝<br><br>■質問や要望をお寄せください。<br>Email:<a href="mailto:unp@unii.ac.jp">mailto:unp@unii.ac.jp</a></dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dt>「オバマ政権は何を企図しているか」<br>(2008年12月22日、日本工業倶楽部での講演)</dt>' +'<dd class="gakuchodate">(2009.1.15記事）</dd>' +'<dd><strong>１．</strong>バラク・フセイン・オバマは２１世紀の選挙戦を初めて戦った。織田信長の長篠の戦いが銃砲の体系的使用で中世的戦法を超越したような新鮮さをもった。ヒラリー・ロッダム・クリントンの選挙戦法が２０世紀型だったのと対照的であった。携帯メールを草の根市民参加のために徹底的に使った。シカゴでのボランティア団体の指導者の経験が重要だった。選挙資金集めや集会参加呼びかけにもフルにこのネットワークを使った。携帯メールを登録した人の数は３００万人といわれるが、この３００万人が一騎当千の運動員になったのである。演説のスタイルや仕方もおそらくその当時から学んでいったのではないか。２００４年民主党候補のジョン・ケリーのための基調演説に既に２００８年のオバマが既にある。これは推測でしかないが、２００４年スシロ・バンバン・ユドヨノがインドネシア大統領選挙戦に使ったスローガンは「ブルサマ・キタ・ビサ Bersama kita bisa」（我々みんな一緒にやればできないことはない）であるが、このビサは英語でいえば、キャンで、オバマのイエス・ウィーキャンと同じである。今後も草の根のタウン・ミーティングのようなものを選挙戦のノリで使う方針のようである。参加を確保すれば、ワシントンに抱き込まれて選挙の立役者を忘却した、廃棄したという非難をある程度かわせるという計算もあるだろう。選挙戦半ばくらいでリベラル派を薄め、中道色を強めたからである。<br><br><strong>２．</strong>大金融危機は圧倒的な比重で新政権に襲いかかった。オバマの関心の８割は経済問題になる。死に物狂いで取り組むだろう。経済チームの陣容をみると、大金融危機を醸成させた張本人を多く含んでいるようにみえる。オバマがなぜこのような陣容にしたかについての推測は、全米ドリーム・チームを全面に出し市民を圧倒し、さらに破綻銀行・企業に対して有無を言わさぬ救済（つまり、不良債券の額などを子細に確認してからの救済ではない）で最善を尽くしたという実績を作りたいのだろう。金融機関救済にほぼ限定した日本やドイツやスウェーデンなどの救済と質的に異なる。スウェーデンのボルボもＧＭやフォードやクライスラーのような感じになっているようだが、政府は救済せずに行くらしい。中国のソブレン・ファンドが買収にくるとしても企業として自力更生でやれということになりそうである。それが米国経済を迅速に救済するのかどうかはわからない。あれだけの巨大な資金供与が銀行・企業の再生の大した見通しなしで行われるのだから、２ー３年位で激しい反動が地球規模で訪れるのではないかと思う。にもかかわらず、オバマはなぜ助けるのか。それはやはり草の根の困窮者に助けの手を差し伸べなくて、何の政治ということだろう。むしろ困った時に一緒に行動することによって、選挙戦であれほど高らかにうたい挙げた合衆国の一体性を強調できる良い機会になる。そして次の段階での確実な力となりうる。<br><br><strong>３．</strong>それでは世界経済は全体としてどうなるのか。米帝国がまだまだ健在であることは、米ドルがユーロに比べても結構強いことからも推測できる。米ドルの紙幣にある、In God We Trust を捩って、In Empire We Trust  ということなのだろうか。このような前提に立って、外貨保有世界第一位の中国は米国財務省債券購入をさらに増加させているようである。中国は「責任あるステイク・ホールダー」としてしばらく行くのだろう。逆に日本はゆるやかながら、財務省債券を小規模ながら売っているようである。米国からみると中国と日本から巨大な資金が米国に吸い込まれていく見通しだから、米中日サミットの提案も出てきている。それだから、米国経済再生の政策路線がこころもち大雑把で甘い感じを与えるのだろう。<br><br><strong>４．</strong>視野をさらに先にしてみよう。２０５０年でみると、世界１０大軍事大国（米中露日韓英仏独印伊）のうち，人口増基調を続けているのは米印英のみで、２０２０年には中国も人口減少に向かう。まず中国であるが、高齢者の増加で今のところ極端に不備な社会政策と社会安全網の改革に向けてどこまで政府支出を増加させるか。それとも高齢化にかかわらず、軍備拡大に励むか。共産党支配であるにせよ、社会政策支出拡大の政治的な声が増大するのではないか。国防支出は減少に向かうのか。所得格差の極端な性格は中国社会を紛糾の多いものにしているが、そうだからこそ、国防支出をさらに増大させるというのか。米国は巨大な軍備拡大を続行している中国に対しては、第一に海軍空母集団を１０年で二倍にしようとしている。第二にミサイル防衛を本格化し、万全の備えを築こうとしている。しかし、どちらも巨大な支出を必要としている。オバマはミサイル防衛はスケール・ダウン、最新戦闘機Ｆ２２はポストポーンになるかもしれない。米国のありうる軍縮方向が中国を軍縮方向に導くのだろうか。<br><br><strong>５．</strong>それでは日本はどうなるのか。オバマが日本を重要視はするが、特別視しないことは確かだろう。あまり問題を抱えていないのだから、特別な関心を支払う必要がないだろう。イラク、アフガン、パキスタンのような破綻国家的な問題はない。イスラエルやイランのような中東全体、エネルギー問題全体にかかわるところで、動きが極端なところもない。中国のような国内的にも、対外的にも激しい動きもない。北朝鮮のような神経をイライラさせることもない。ロシアのような対抗意識が強いわけでもない。大統領特別補佐になるラーム・エマヌエルが当選直後に首脳電話をオバマに用意したのは英独仏日韓豪加墨イスラエルの九カ国である。翌日電話をかけたのは中露である。日本は大金融危機の教訓として何を学んだか。第一、金融機関は激しく市場自由化をしなくて良かったというのではないか。第二、国際関係のために使う経済力低下に米国が向かっているとしたら、米国というバスケットにすべての卵をいれたままというのではまずいのだろうというのではないか。第三、日本は近隣諸国ともっといつも政府や民間がそれぞれ独自の力を出して会話をもたなければならないのではないか。第四、大金融危機のために極端な困窮者が地球上に１０億から２０億に増えるとしたち、日本はその２０億人に救いの手を差し延べることを通じて、日本の地球的役割を証明しなければないないのではないか。オバマは外交では大して大きな変革を企図していないのではないか。国内的な変革こそ、オバマの優先順位である。東アジアでは関係各国すべてが、当面は米国を軸とした展開を考えており、しかもそれに波長と歩調を基本的には合わせていくしかないと思っているようである。あの北朝鮮ですら、米国から大きな譲歩を勝ち取りつつあるという認識の下で、韓国や日本よりも米国と親密な同盟国であるかのような口調になっているときもある。東アジアはむつかしいからこそ、そして当事者が実務的で、釣り合いのとれた政策路線を慎重に紡いでいる限り、大きな政策路線変更はやりにくい。地球上には背中に火が着いているような問題国が米国を多分含めていくつかある時に、米国は東アジアで大きな変更を試みないだろう。<br><br><strong>６．</strong>日本は何をすべきか。５カ条宣言を発表すべきである。<br><br><strong>　（１）</strong>困難な時代には創造的な新機軸を輩出させるべし。<br><strong>　（２）</strong>多国間主義の旗識鮮明にし、積極的法律主義によって、国際的ルール制定と地球的規範の醸成に励むべし。<br><strong>　（３）</strong>人間的発展主義の路線を世界に普及させるべく、最低辺の２０億人に継続的で、自力更生に繋がる援助に励むべし。<br><strong>　（４）</strong>悲願である非核世界実現に向けて励むべし。核戦争の悲劇を体験した、唯一の非核大国として国際連合安全保障理事会常任理事国を希求すべし。<br><strong>　（５）</strong>信念の自由、航行の自由、貿易の自由の地球的実現に向けて励むべし。<br><br>これらの多くをバラク・フセイン・オバマの路線と共鳴、共振させることによって、２１世紀の人間世界が、戦争ばかりしていた２０世紀よりも、格段に穏やかで豊かな人間社会を実現するために日本は尽力すべきである。<br><br>■質問や要望をお寄せください。<br>Email:<a href="mailto:unp@unii.ac.jp">mailto:unp@unii.ac.jp</a></dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dt>グローバル化と地方振興―地方大学の役割</dt>' +'<dd class="gakuchodate">(2008.12.03記事）</dd>' +'<dd>１．グローバル化は地方振興にどのような意味をもつか。<br>　グローバル化とはたとえば、企業に電話をかけるとガイドが出る。電話の用件にしたがって内線番号を案内するガイドである。このガイドは遠く、遠くインドにいたり、ブラジルにいたりする。米国企業からみてインド人の賃金はかなり安いし、英語もほとんど問題ないからである。日本企業からみて日系ブラジル人の賃金と日本語はとても魅力的である。こうなると、米国や日本のガイドは職を失う。こういうことがあらゆるところで生起している。つい最近まで、国内状況をみていれば、失業やインフレも大体把握できたのに、このところ世界中をみていないと、経済の動きはわかりにくい。アフリカ第二次世界大戦がおこるかもしれないと時に言われるコンゴ民主共和国とルワンダの国境を跨ぐ紛争は、電子器具に不可欠なレアメタルの争奪戦によって一層激化しかねないといわれている。レアメタルは、日本が輸出する工業製品のなかでも最重要の金属のひとつであるから、遠いアフリカのこととて、無関心でいられない。それどころか、コンゴ共和国やルワンダに急遽大接近を図る政府や企業が大量に出現する。ある日本の大きな自動車会社がロシアに工場を作ったのは最近であるが、それまでロシアの中古車輸出により日本の海港を拡大しようとしていたところは、むしろロシアのおける中古車輸入を減らそうとする動きのなかで、海港開発の勢いは削がれる。湾岸諸国では石油需要の急激な拡大により贅沢高級品市場が開拓され、たとえば高級絹や高級綿で一着１００万円のイスラム教徒の礼服をつくったらなどという声もあったが、金融大不況の前に湾岸諸国の大繁栄に大きな影がさしてきた。グローバル化とともに英語習得熱は高まる。中国からみると欧州連合のなかでもキプロスは比較的安く、短期間に多数の中国人が学習できる一つの中心地である。ユーロが人民元と比べて高めでも、授業料も生計費も安いので中国人が集まる。韓国からみるとフィリピンのネグロス島のある大学英語習得センターは、授業料も生計費も旅費も安く、韓国人が何万人も勉強しており、レストランは韓国料理店で溢れている。やはり中国の英語習得熱を背景に、寧波に、英国のある大学が、英国人教授が教える英語だけの大学をつくった。浙江省だけでも大変な数の志望者があるそうで繁盛しているようである。陸続きであることや人民元の授業料や生計費が安めで、北朝鮮からも留学生がかなり来ているそうである。このように地球の地域と地域が国家の境をものともせずに結合し、それがビジネスに繋がることがグローバル化により多くなった。要するに、グローバル化は地方振興にも地方衰退にも繋がる。どちらにするかはそれぞれの地方のアイデア、アクションに大きくかかっている。<br><br>２．地方振興に大学は軸となれるか。<br>　地方の振興も衰退もグローバル化の時代では自業自得である。企業だけでは研究開発費の巨大膨張を賄いきれない。大学との新機軸の共同開発は必然の道である。地方自治体もＮＧＯもまきこまなければ、勇気のあるイニシアティブも線香花火に終わりかねない。共同して地域振興の目標に向かって、手に手を携え、肩と肩を寄せ合うところがないとなかなかうまくいかない。しかし、アイデア良し、アクション良しでも、軸となる祭りの神輿のお囃子のように、アイデアをアクションに導くことのできる人があちこちに必要なのである。良いアイデアはなかなか生まれにくい。生まれてもアクションに繋がるのは少しである。アクションにつながっても、成功するのはさらに小さい。そういうことにも準備のできている人を輩出しておかなければ、地方振興も掛け声だけに終わりかねない。雨が降ろうが、槍が来ようが、全天候型に対処できる人材を生むことが必要なのである。地方は東京でないから、運命的なハンディがあるから、という考えはどうかと思う。中央集権政治体制、大企業大量生産大量消費体制の破綻は静かに明らかになってきているのである。むしろ、決定単位の分権化、行動単位の分権化がほぼ必然の流れである。決定単位、行動単位ごとに地球規模で共同する相手をみつけることによって、強い力、大きなビジネスへと発展できる。かつて「一村一品」という標語が流行り、多くの積極的な効果を生んだ。しかし、それは日本国内に視野が限られることが多かった。グローバル化が本格化している今日、視野を地球に広げ、世界でオンリーワンを狙う精神が弱いとあまり成功しないだろう。情報技術のベンチャー企業が、米国カリフォルニア州スタンフォード大学を軸に大きく展開したのはつい３０年前のことである。世界指導者が集まるダヴォス会議の創立者は、スイスのチューリッヒ大学の一教授である。大学は地方振興の旗振りになることが少なくない。<br><br>３．大学の軸とする地方振興の試みに対する障害はどこにあるか。<br>　日本ではいくつもあるが、どちらかというとささやかなものが多い。それは地球標準への合わせ方が弱いこと、地域特性の把握が的確でないことで大体説明できる。一村一品運動でもあきらかであったが、地球標準への合わせ方が大体弱い。うちの村の味噌漬けは特別だといっても、広い世界でアピールできる人口が小さすぎる限りどうしようもないのである。いうまでもなく、地域に対する誇りを高めることが先決である。それに加えて、地球標準と地球的な広がりを考えることが肝要である。地球標準のなかには２１世紀の普通語、共通語である英語の習得が入る。日本は世界でも英語使用人口が人口比で最低である。世界金融センターにしようなどという掛け声も２０年前にあったが、英語を使える人口が極端に少ないので冗談にしか聞こえない。金融は情報であり、ネットワークであり、そして言葉である。この時、言葉とは英語である。ビジネスの中身も知り、同時に言葉がしっかりとしている人が多数いなければどうしようもない。通訳をとか、外国人お雇いとか言う声もたしかにあったが、現実を知らない人の冗談に近い。グローバル化はジグザグを経験しながら着実に深化する。英語は東京の大企業の問題だという地方の企業経営者がいるが、これもグローバル化の本質を理解していない誤解である。日本企業が世界各地に直接投資していることも現実であるが、２１世紀には外国企業も日本に直接投資することが増大する。外国企業が日本の企業を買収併合することが多くなる。技術水準が高く、被雇用者が勤勉で、賃金水準も極度に高くないとすると、地方の優良企業がそのような標的になりやすい。それはその地域にもプラスが多いだろうが、他方その折衝において地方の中小企業のなかで適任の人がいないとなると、不利な条件での買収併合になりかねない。外国企業といっても、どこかの国の企業というよりも多国籍企業となることも多い。そうなると公用語は多分英語である。準備がなければ、不利になる。東京の大企業は被雇用者も多いし、いろいろなことができる人を抱えていることが多いが、地方の中小企業はそうでない。この現実をふまえると地方こそ、グローバル化の人材を人口比で高くしないとどうしようもないことになる。<br>　日本の障害のもうひとつは日本が階級社会というか、職業別社会というか、社会流動性が低いことが挙げられる。どういうことかというと、銀行員の子供はやはり銀行員、大学教授の子どもはやはり大学教授、官僚の子供はやはり官僚、俳優の子どもはやはり俳優という具合に職業別社会になっていることである。このような人材が必要になっているといっても、別な職業人から参入することがあまりない。まして外国から参入してもらうことは非常に少ない。したがって、金融とか情報サービスとかでは幾らかの外国人の参入が目立つがそれほどでもない。介護とか医療となると非常に難しい。英語教師についても同じである。外国人排除は少し問題が違うといえば違うが、いつも代々見慣れた職業選択と社会流動性の低さは日本の問題をより深刻なものにしている。大学をグローバル化の地方振興の軸とする考えはこのような障害をできるだけ軽減することにかなり役立つのではないだろうか。異種業界の共同なくしてはなかなか達成しにくいのが地方振興だからである。<br>　それに劣らず深刻なことは「一村一品」と関係しているが、地域の特性の把握がややもすれば甘いことである。何が地域の特徴か、どこが伸びそうかについて深刻に考えるところが少ないのではないか。ナスの味噌漬けが特産物だとか、食後酒にすばらしいのがあるというだけでは駄目なのである。どのように、どのような集団（地球上の）にアピールするかを考えていかなければならない。地域を観光地にするためには案内、ピーアールがしっかりとしていなければならないのに、素材がいいからおいしいものが楽しめるという程度の宣伝ではアピール力が弱すぎる。東京の健康拠点とするというには医師、看護師、介護士、会計士、病院管理士など、地域からの関連人材の輩出が十分でない上に、給料やその他の条件で近隣よりもかなり劣るということでは、地域の特産にはなりにくいのである。外国の患者も標的とするのであれば、言葉も下手すぎてはどうしようもない。医師も看護師も介護士もこの点では同じである。グローバル化への準備が迅速に必要だというのに、準備の必要も、その緊急性もあまり理解していない人が多すぎると思う。地域プランナー、地域デザイナーもいるが、視点が狭すぎるし、業者と癒着しているのではないかと思わせる場合もままありがちである。とにかくローカルなことほどグローバルに考えなければ、的確な地域特性の把握が難しくなる。<br><br>■質問や要望をお寄せください。<br>Email:<a href="mailto:unp@unii.ac.jp">mailto:unp@unii.ac.jp</a></dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dt>学長室から</dt>' +'<dd class="gakuchodate">(2008.03.27記事）</dd>' +'<dd>　３月は学年度末で最も忙しい時期でもありますが、今年は３月に２週間、フランスのパリ政治学研究所大学院（俗称シアンス・ポー）で「東アジアの国際関係」を教える機会がありました。『輸入された国家』などで著名なベルトラン・バディ教授の慫慂（しょうよう）に負けて行きました。ブルバール・サン・ジェルマンにあるシアンス・ポーです。町中の大学なので建物は四散していますが、通りはブルバールですから結構広いです。６車線位でしょうか。デモ行進も滞在中にみました。保安官みたいな騎兵隊（５０騎位）の行進もみました。建物は大体６階から８階にそろえて、ギッシリと人が住んでいます。大学が賃貸しているアパートの一室に滞在しました。なんと１００平米でした。広すぎますが、広くて気持ちがよいでした。まどから通りを見下ろすと、マロニエの並木に丸い裸の実がかなりぶら下がったままのなかで薄緑の芽が吹き出し、向かいの建物のベージュ色に映えて、絵画を描けたらなあと思わせる風情でした。そのなかにデモ行進や騎兵隊が行き交いするのです。ああここはサルトルとボボワールが語らったカフェかとふと思いながら授業の合間にカフェオレを楽しみました。アパートは長期滞在用で自炊もなんでもできるようになっているのですが、朝食も朝食専門定食屋みたいなカフェで１０分ほどあるいて毎日とりました。食前の散歩という感じでもあり、朝食のもとの意味である「断食を解く」という感じを楽しめました。<br>　大学院演習なので講義と討論です。でも、いつも１００分位講義してから討論を始めます。学生はフランス出身も多いですが、外国出身も多かったです。ラトビア、ウズベキスタン、韓国などからの学生もいました。もちろん、アフリカや中近東の出身とおぼしき学生も、ヨーロッパ各地からの学生も何人かずついました。多文化そのものでした。政治学・国際関係論専門の修士号取得後はどのようなキャリアを積むのかと聞くと、ハッキリしていない人が多かったですが、学者、ジャーナリスト、アナリスト、国際金融、NGO などに散らばるみたいでした。フランス海兵隊の将校もひとりいました。言葉はどうか。私のフランス語は初級なので、本は大体読めても、何か簡単なことはフランス語でひとつふたつ文章を作れても、帰ってくる言葉を半分も理解できないので、すべて英語でした。シアンス・ポーは英語のできる学生しか取らないので自然でした。フランスでは英語がよく通じないというのは多分２０年前のことで、少なくともブルバール・サン・ジェルマンでは英語だけでも大丈夫です。こちらが英語で話し続けると、相手が大体わかり、答えはフランス語でというのもありますが。シャルル・ドゴール空港の免税品売り場や税関の人はほとんど一様に日本語を話していました。この２０年間でフランスも積極的な攻勢に変えたのです。<br>　授業のほかに２回、教授セミナーで発表しました。ひとつは「アジアにおける国際関係論」、もうひとつは「ソフト・パワーは生き残れるか――米国と欧州連合に対する歴史の教訓」です。前者に対する討論で目立ったのは国家学とマルクス主義の伝統の日仏比較です。また、日本の大学との提携を強化したいために、どこの大学の誰がどのような流れのなかで研究を発表しているかということにも質問が集中しました。後者について、私は９世紀前半の神聖ローマ帝国（シャルル・マーニュ）の最初の欧州統一通貨とその崩壊、１３世紀のモンゴル帝国における軍票による８５年の長期にわたる地球通貨の維持とその政策路線であるフリー・フェイス（信仰の自由）とフリー・トレイド（貿易の自由）の現代的意味について話しました。ソフト・パワーについての定義がジョゼフ・ナイやマイケル・マンとは違い、規範的な議論での優位を獲得することによって、地球的な優位を獲得しうる、パワーを発揮しうるとしているので、議論としてはお互いに認め合う感じになりました。<br>　パリにいく前日には国際比較世論調査についての公開シンポジウムが東京のメキシコ大使館で開催され、友人で、共著者でもあるミゲル・バサネス教授、山崎聖子東京大学客員教授とともに登場、私はアジアバロメータ・世論調査のデータを使って、東アジアといっても子供に植え付けたい徳目の選択からみると、中国、台湾、韓国、べトナム、シンガポール、香港では自立心、勤勉さ、そして正直を非常に一様に３割位ずつ強調するのに対して、日本だけが６割の高率で思いやり、優しさを強調していること、思いやりの次には誠実が続き、そのあとはそれほど高いものはなしということを報告しました。日本人の方が儒教の仁とか恕とかの教えを体現しているようにもみえるし、大陸人の方が非儒教的なような感じもしました。ただ、世間で儒教社会といわれるのは権威主義という意味では大陸人の方が儒教的なのかもしれないと報告しました。バサネス教授の息子さんはメキシコ大使館の文化担当筆頭外交事務官で、日本語も英語もスペイン語と同様にしっかりしていました。こんなこともあり、９月メキシコ技術自立大学で一週間教えることになりました。おまけに日墨通交１２０周年記念でメキシコ議会上院で演説することになりました。<br><a href="../column/files/080307_Culture_Matters_Symposium_invitacion.pdf" target="_blank">“080307_Culture_Matters_Symposium_invitacion”</a><br> ○ 2008年3月7日　メキシコ大使館にて(pdfファイル 45.7KB）<br><br>　パリ滞在中には、最近刊行したラウトレッジ出版社からの三冊の英文学術書刊行記念公開シンポジウムが開催されました。<br><a href="http://www.dajf.org.uk/event_page.asp?Section=Eventssec&ID=329" target="_blank"> Citizens and the State;Political Cultures in Asiaand Europe; Globalisation,Public Opinion and theState</a><br>授業の合間を縫っていきました。ユーロスターというドーバー海峡をもぐっていく新幹線で、２時間あまりでパリ・ロンドンを往復しました。大和日英基金のおかげです。チームのうち、私はパリ、もうひとりはダブリン、さらにもうひとりはロンドン、そして司会はオックスフォードにいましたが、奇跡が起こったようにロンドンで全員が集まり、５０名余りが参加し、活発な討論が行われました。「アジア・ヨーロッパ世論調査という２０００年にアジア９カ国、ヨーロッパ９カ国で行われたものを分析した『アジアとヨーロッパの政治文化』、『市民と国家』、そして『グローバリゼーション、世論と国家』という三冊です。前二巻はジャン・ブロンデルと私の共著、最後巻はイアン・マーシュと私の共編著です。日本とイギリスで政府のいうことは正しいと答える人が１８カ国で一番少なかったことは不思議な一致でした。成熟した市民がいると解釈していいのでしょうか。役所にいって許可証を求めたら、辛抱強く待ってください、と言われた時にどうしますか、という質問にどのように答えますか。（１）役人に賄賂をやる、（２）コネを使う、（３）あきらめる、（４）辛抱強く期待して待つ、（５）手紙を書く、（６）許可証など無視して勝手に行動する、の選択肢です。アジア諸国で第六番を選択した人が一番多いのはどこの国だと思いますか。フィリピンと日本が断トツです。そんなに高い数字ではありませんが、多くの権威主義国家では第六番の選択肢は危険が身におよぶおそれがなしとせずなのです。税務署や警察署から人が動く心配があるのでしょう。そんなことで大変にぎやかで、面白いシンポジウムでした。私が大学生だった時の英語の先生とも１０年ぶりにロンドンで朝食を取ったり、２０年前にお世話になった日本政府の元高官の夫人とお嬢さんにも会う機会がありました。パリを出る午前中に教授セミナーがひとつ、パリに帰ってからすぐに午後に授業ひとつと超過密スケジュールでしたが、西村正徳社長（西村書店）がパリ図書フェスティバル参加でパリ滞在、おかげさまで往復を無事にジャスト・イン・タイムで可能になりました。上記の三巻をフランス語で刊行できまいかと図書フェスティバルでフランス出版協会の会長に聞いたら、彼もシアンス・ポーでかつて教えていたということで乗り気、帰国後西村社長のお世話で調査してもらうことになりました。また、シアンス・ポーと新潟県立大学の間に提携協定を結びたいなどと、先走ったらシアンス・ポーはドイツとイギリスとも提携ネットワークがあるので、シアンス・ポーも乗り気。二重の先走りみたいですが、その可能性はあります。とにかく英語がしっかりしていればヨーロッパは大丈夫みたいです。<br>　大変にぎやかで、慌ただしかったですが、とても生産的な二週間でした。教訓は何でしょうか。何か機会が与えられたら、ものは試しで一歩踏み出しましょう。いろいろ前が一気に開けます。<br><br>■質問や要望をお寄せください。<br>Email:<a href="mailto:unp@unii.ac.jp">mailto:unp@unii.ac.jp</a></dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dt>ロシアとの付き合い方</dt>' +'<dd class="gakuchodate">(2008.03.03記事）</dd>' +'<dd>１．新潟県立大学は近隣諸国について多大な関心を抱いている。最近大統領選挙のあったロシアについて考えてみよう。日本のロシアとのはじめての出会いが非軍事的なところはドイツと同じである。それと対照的に米国や英国とは軍事的な出会いで始まった。1930年代以上にドイツと組もうという人が日本に多かったのはこのせいだろうか。第２次大戦中、異常なまでにソ連に和平への仲介を頼もうという人が日本に多かったのはこのせいだろうか。いずれにせよ、徳川時代に漂流した日本人を助けたし、開港を求めてロシアは日本に対してすぐに強制外交に走ることもなかった。チェーホフやプーシキン、トルストイやドストエフスキなどの小説や詩だけでなく、バレーやバイオリンなどのように文化的な影響が明治時代から平成時代にいたるまで強い。<br><br>２．ロシアの生い立ちはモンゴル帝国に従属しながら次第に欧州の影響を受けて独立、発展していったところにある。はじめはスウェーデン人の河川を使った軍事的進入によってロシアの国家形成のきっかけが促された。さらにモンゴルからの独立後、強い国家にするために、ドイツやフランスに啓発された近代化路線を進めた。ピョートル大帝は氷と沼のサンクト・ペテルブルグ（ピョートルグラードからレニングラードを経て）に首都を建設した。交易拡大と海軍強化の目的をもっていた。サンクト・ペテルブルグ、セバストーポリ、ブラジボストークはロシアの代表的な港である。さらに少し時代を降りると、エカテリーナ女帝はドイツ人であり、ドイツ人の入植を大規模に進めた。ロシアの発展の基礎は穀物農業の発達である。寒冷な気候でも深耕によって穀物栽培が可能になり、人口が着実に増えたのが１８世紀、１９世紀であった。しかし、欧州の影響が大きいからこそ、欧州の影響に反発し、ロシア独自の伝統を主張する声は常に大きい。１９世紀の西欧派とロシア派の対立は今でも続いている。モンゴル人の軛（くびき）から解放されてからも、外国の侵略を幾度と受けたことはロシアをして、外国の影響力拡大について警戒的な考え方を抱かせる。とりわけソ連邦の解体を経験し、以前連邦内にいた国家に対して影響力を保持ないし奪還する意欲が強い。<br><br>３．ソ連邦の解体は中央計画経済という異常なまでに官僚化した仕組みの破綻に起因する。同時に米国との軍備競争で科学技術水準の低さで敗退していった。エリツィン大統領指導下で経済市場化と民主化の路線を短期間取ったあとで、プーチン大統領下、戦略的な国有化（石油など）、徹底的な法と秩序、民族主義的な栄光の路線を追求している。この路線はロシアのサウジ化と時にいわれる路線である。エネルギー・資源の豊穣に依存する国家強大化路線である。それは同時に国内的には法と秩序、対外的には攻勢的外交の路線である。ロシア社会全体でみると、貧富格差拡大と人口減少がとりわけ強い特徴としてある。人口減少の原因は失業によるストレス、栄養不足､衛生医療劣化。とりわけ男性が早死にしやすく、出産も少子化が著しい。<br><br>４．プーチン大統領は法と秩序と攻撃的外交の具現者である。情報謀略機関の出身である。外国語はドイツ語が得意なだけでなく、モスクワ冬季オリンピック招致演説は英語と仏語でこなし、招致を実現した。柔道をよくし、黒帯である。お嬢さんはサンクト・ペテルブルグ大学日本語学科学生である。情報謀略機関出身のせいか、電話やイーメールは絶対に使わない。面接の場合でも公的な場所では絶対に笑わない。いつも集中し、頭脳回転は速い。大統領任期完了で今度は首相となる予定である。憲法的には大統領制で圧倒的な権限をもち、首相は事務総長という感じになる。プーチン首相が強くなりすぎてメドベージェフ大統領は名目的なのだろうか？｢二人三脚｣体制がしばらく続くのではないだろうか。<br><br>５．対日政策をみると、とにかく愛国主義が第一である。「主権民主主義」をモットーにして、ロシアの民主主義を強調する時には、主権民主主義でないとされるウクライナとかグルジアなどと対照的に、ロシアは外部勢力の影響力行使とか内政干渉を許さないことを想起させる。第二は領土保全主義である。ソ連邦解体後のロシアは領土的妥協はよほどでないとなかなかしたくない。大局的判断で実利ありとなれば、対中国のように意外にスパっと譲歩する場合も少なくないが、対日本の場合はどうだろうか？日本の対北方四島を日本固有の領土という主張も、最近の世論の風潮から言うと、日本というよりアイヌ先住民の固有の領土ではないかという議論も出てきかねない。ロシアについても同じである。難しいのである。第三は科学技術立国主義である。石油による国富拡大には限界があるから、科学技術水準の不断の向上によってしか、恒久的な高度先進国になれないと固く信じている。無資源で高度先進国の代表的なのは日本であり、ロシアの未来は日本から学ぶことにあるとまではいわないが、日本の科学技術水準の高さをなんとか利用したいと思っている。２００７年秋、副首相、科学技術相、資源相など大勢で日本を訪問したが、プーチンの考え通りである。なかでも石油が枯渇しても、生き延びられる原子力発電の技術を利用したがっている。原子力発電の資源であるウラニゥムなどはカザフスタンにも大量に埋蔵されている。しかし、チェルノブイリ後、原子力発電の技術進歩は非常に遅滞している。地球温暖化阻止の京都議定書が影響力をもつなかで、日本も海外からの原子力発電所建設に必要な技術協力をどこまで受けるかについて思考を重ねているところである。<br><br>■質問や要望をお寄せください。<br>Email:<a href="mailto:unp@unii.ac.jp">mailto:unp@unii.ac.jp</a></dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dt>新潟県立大学の歴史的位置づけ</dt>' +'<dd class="gakuchodate">(2008.02.28記事）</dd>' +'<dd>　大学の歴史を過去１５０年位のスパンで考える機会があった。大学は政府のエリート促成専門学校から出発した。医学、農学、工学、法学など応用分野が圧倒的な比重をもっていた。国家主導の近代化を推進する軍団を養成したのである。それとならんで民間でも大学が作られた。政府にまかせてなるものぞ、という気概があったし、実際に専門的な知識や技能をもつ卒業生に対する需要は近代化の進展とともに増大する一方であった。政府による大学は帝国大学としてその数は二桁にもならなかった。私立大学は第二次世界大戦後に膨張の一途を辿ったが、戦前にはその数は三桁にはならなかった。連合国の占領改革は教育分野で大きな足跡を残した。国立大学を各都道府県にひとつずつ置いたのである。それに私立大学の爆発的な増加があった。この体制は半世紀続いたことは周知のことである。２１世紀にはいって、この体制のほころびや擦り切れが目立つようになったのである。<br>　第一、大学の学術水準が平均して低い。そんなことはないという方も多い。しかしである。日本社会のエリート（社会を指導する立場と責任のある人で、全人口の０・１パーセントとしよう）をみると、決定的な問題がふたつある。第一、外形標準として学歴が主要国平均とくらべて低い。大学院で高い学位を保持する人の割合が低い。政府の官僚でも企業の技術者でもこれは明々白々である。<br>　第二、エリートの読書と会話があまり知的でないという感じを与えがちのようである。これも否定する方が多い。しかし、外的標準で主要国のベストセラーの違いをみたらと思う。ニューヨーク・タイムズで主要国のべストセラーをリストしている。もう２０年も前にたまたま目に入った時のことだ。米国は歴史、英国は伝記などとベストセラーは学術的にも芸術的にも水準がとにかく高いものが多い。日本はなんの間違いか「少年ジャンプ」になっていた。日本の新聞の書評欄の取り上げる本の種類は学術的専門的なものは軽視される度合いが非常に高く、大衆的なものがほとんどになっている。日本的な書評欄の長所は褒めすぎることはないが、同時に知的な議論をまきおこす場所としてはすこしもの足らない。その後このリストに日本は入らなくなっている。もうひとつ、これは限られた経験であるが、日本の大学生が外国の大学生と討論しているのをたまたま観察する機会があった。日本の大学生は討論の組み立てに改善の余地が大きかった。英語も率直にいってあまり上手でない人が多い。といっても米国とか英国とかインドとかシンガポールだけでない。ロシアとか中国とか韓国とかの大学生も上手なのである。外国語としての英語検定試験の得点は、日本人は世界でもとりわけ低い。英語の先生も犠牲者なのだから責めるつもりはないが、英語の教え方がよくないのだと思う。１５０年たっても英語がこの位だと困ると思う人は少なくない。なんとかならないかと思う。<br>　このようなことも大学が果たそうとしてきた役割がすこし時代錯誤とまではいかないまでも時代遅れになってきているのではないかと思う。大学が電気、機械、法律、医療などの実用的学問分野の知識と技能の習得に一生懸命になるのは何時の時代でも必要だが、一年間にそれぞれの分野で何万人もの学士を２１世紀の技術水準からみると絶対に先端ではない水準で大量に生産する必要があるのだろうか。先端の科学、先端の技術、先端の学問、そして先端の芸術などは大学院で引き続き追求するべきものなのである。その大学院の水準がやはりこれだけの富、これだけの人的資源、これだけの社会制度をもっている社会としては残念なところが少なくない水準である。近い将来に経済協力開発機構では大学生の学力を国際比較できるような形で世界中で測定するとのことである。恐ろしい不都合な真実が赤裸々にされるのである。<br>　戦後の地方国立大学も半世紀重要な役割を果たしたことは間違いない。地方分権のひとつの象徴として地方独自の人材養成を担ってきたのである。戦後の私立大学も同様に急速に増加した大学進学者を受容する受け皿の機能を立派に果たしてきたのである。２１世紀には状況が大変化を遂げている。第一、中央政府はそれほど潤沢な歳入をもたない。第二、企業は技術水準の不断の進歩に負けないように巨大にして持続的な研究開発投資を必要としており、その担い手はしっかりとした大学院で高い知識と技能を身につけている人を必要としている。第三、グローバリゼーションの勢いはいやがおうでも全天候対応型の人材を必要としている。日本社会だから日本語だけとか日本人だけでとは問屋が下ろさない。<br>　次第に明らかになりつつあるのは、（１）大学院における先端的学問の追求が社会の質と文明度を決めていること、（２）地方に根ざした人材育成が求められていること、（３）そして大学は大量生産方式から、個々の学生の潜在的な長所を引き出すことに工夫と努力を重ねる方向に向かっていることである。旧帝国大学プラス数校の地方国立大学と私立大学は第一に照準を切り換えようとしている。地方国立大学は第二に照準をあわせるべきか、第一に照準をあわせるべきか、迷っている。いずれにせよ、第三の方向を根づかせないと大学経営は破綻する。<br>　それでは新潟県立大学は何を照準としているか。第二と第三である。それはグローバルにも飛躍できる全天候型の人材を地方に根ざしながら育成しようとしている。県立大学が経営がむつかしくなっているこの時になぜ立ち上げるのかという質問が時にでてくる。私の答えは、質問がまちがっている。地方に根ざした、しかしグローバルに飛躍できる人材育成を主要に担うのは県立大学という時代が来たのである。新潟県立大学は新しい時代の先駆けなのである。それは食べるものも食べず、しかし勉強だけは続けようという小林虎三郎の新潟県に相応しい役柄なのである。<br><br>■質問や要望をお寄せください。<br>Email:<a href="mailto:unp@unii.ac.jp">mailto:unp@unii.ac.jp</a></dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dd class="gakuchodate">(2008.02.20 於 東京）<br>○2008年2月20日　タイのプラチャイ・ピユムソムブン元副首相（現退役）と会見<br><img src="../column/files/20080220_at_tokyo.jpg" width="240" height="175"></dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dt>教育、社会的企業家精神、協調的新機軸</dt>' +'<dd class="gakuchodate">猪口　孝<br>中央大学教授<br>日本産学フォーラム幹事<br>(2008.02.13記事）</dd>' +'<dd>　グローバリゼーションとよばれる勢いはほとんど不可逆的です。それは技術進歩が基になっておこるものです。その波は世界のあらゆるところに浸透しています。グローバリゼーションは世界を競争力の場として世界をひとつにしようとする趨勢です。同時に、競争の落伍者をそこから切り離してしまう趨勢でもあります。つい最近でも、燕三条の代表的な金属メーカーが外国に買いとられらました。度重なる食品偽装事件は食料自給率を誇る新潟も震撼させました。<br>　このようなグローバリゼーションは大きな不確定性とリスクをつくります。しかし、不断に新機軸を打ち出すことによってそれに翻弄されないようにできます。問題は新機軸を打ち出すのが容易ではないのです。時代感覚や想像力が求められます。それに資金や組織が必要です。そういった障害を越えるひとつの方法として、社会的企業家精神というものが見直されています。普通、企業家精神とは利潤を追求しつつ、リスクをものとせずに邁進する精神を指します。社会的企業家精神とは利潤に限らず、社会的に善なりとの合意が強い場合に、企業だけでなく、政府、地域共同体、非政府的組織なども大きく参画します。そのように手をつなぎあって新機軸をもっともっと打ち出そうというわけです。<br>　新機軸とは単に技術革新を指すのではなく、生産工程に工夫を加える、財政にメスを入れる、意思決定にスピードをつける、情報を共有する、提携で費用を削減する・・・さまざまな協調によって新機軸が出やすくすることが重要です。そしてこれが今回のシンポジウムの狙いでもあります。<br>　協調的新機軸をそれではどのようにしたら培うことができるのでしょうか。それはやはり教育です。学校においてだけでなく、職場や近所そして地域的な取り組みがあってはじめて生きてくるものです。新潟のようなフロント・ランナーでないところでは、このような協調的新機軸はとりわけ重要です。「米百俵」の小林虎三郎を出した新潟県に最も相応しい主題です。力量の違いを出すのはやはり人材です。人づくりにゆるぎのない優先順位を与えることがグローバリゼーションのもたらすさまざまな難題への対処を可能にします。そして産業、大学、政府そして地域の協調的な新機軸をうちだしやすい環境を醸成することが今最も必要なことです。<br>　我田引水の危険を敢えて冒していえば、２００９年４月に開学する予定の新潟県立大学ではこのような小林虎三郎の精神を掘り起こしていきます。１８８９年第一回帝国議会衆議院選挙は納税額によって選挙権が与えられていましたが、日本一の有権者の数を記録したのが新潟でした。それだけ金持ちが多く、新潟の経済は東京の経済を凌駕して、日本一だったのです。つい１２０年前のことです。東京に人材育成をまかせるのではなく、地方でも人材育成をやろうではないでしょうか。地方は東京のための人材供給に留まることなく、自らが人材を育成し、そして就職の機会をつくっていく・・これが地方振興の王道というべきではないでしょうか。<br><br>■質問や要望をお寄せください。<br>Email:<a href="mailto:unp@unii.ac.jp">mailto:unp@unii.ac.jp</a></dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dt>野口健氏の安吾賞受賞</dt>' +'<dd class="gakuchodate">(2008.02.04記事）</dd>' +'<dd>　新潟市が安吾賞を設けたのが昨年のこと。今年は登山家・環境主義者の野口健氏が受賞しました。すでに開催された東京での式ではじめてお会いしました。実は私は二つの形で氏と繋がりがあります。ひとつは２００６年に新潟市出身で市立寄居中学と県立新潟高校で同窓の西村正徳氏の西村書店からだしていただいた本（『トンボとエダマメ論』）のなかで、野口健氏のように、あふれでる情熱とほとばしりでるエネルギーそして他者への思いやりのにじみでるような若者がもっと出てきてほしいと書きました。もうひとつは私の大学の時の先生、衛藤瀋吉先生は実は野口健氏の先生でもあったということです。衛藤先生は２００７年１２月におしまれながら浙去されました。合掌。読売新聞に私は弔辞『衛藤瀋吉先生を悼む』（12月21日）を書く機会が与えられました。<br>　衛藤先生は太い眉の熱血漢でした。若者を教育することに生涯をかけていました。私は東京大学教養学科で教わったのですが、考えてみれば私が先生に負うこと、エベレスト山よりも高いのではないかと思います。外国語を習得せよ、外国留学せよ、研究教育に励め、社会的な弱者には百倍の手を差し伸べよ、等々いいだしたらきりがありません。どこまで先生の教えをまもっているかについては忸怩たるものがあります。帝国陸軍の一兵卒として広島で被爆、敗北したからには学問で競争しようではないかと決意したのです。世上では敗北したからしようがない、お金儲けに専念しようなどという戯言が流布されていました。そんなものには耳を傾けなかったのです。<br>　野口健氏は衛藤先生の教えに最も忠実な弟子です。その情熱、エネルギー、社会的な弱者に対する思いと実行、どれをみても満点です。こころからの祝意を送ります。同時に坂口安吾の最も忠実な弟子です。安吾賞受賞は誰もが納得です。考えてみれば、坂口安吾はその希有な才能が夭折で中断させられました。新潟県民にとってもとても残念なことです。坂口安吾は日本文学史上でももっと高い評価がなされるべきとの論考を最近執筆しました。『松本清張研究』（文芸春秋社販売、２００８年３月刊行）所収です。<br>　野口健氏には２月９日の新潟での式でお会いすると思います。氏の圧倒的な勇気と元気は日本が今必要としている最大のものです。氏のたじろがない信念と実行力は環境保護の運動に不可欠なものです。日本一の模範です。G8のサミットで日本政府は地球温暖化を最重視していますが、野口健氏にとっても同じです。温暖化でヒマラヤやその他で雪崩が起きやすくなっています。登山家の最大の敵です。また、氷河湖が溶解し、村落が崩壊しはじめています。洞爺湖サミットでも野口健氏によるアピールがなされれば日本の地球温暖化の熱意がもっと効果的に伝わることは確実です。私の方では、新潟県立大学に野口健氏が訪問講演される機会を是非つくります。<br><a href="../column/files/080508_eto.pdf" target="_blank">「衛藤瀋吉先生を悼む」読売新聞（2007年12月21日）</a> （pdfファイル 224.0KB）<br><a href="../column/files/080501seichou.pdf" target="_blank">『聖獣配列を読んで』（北九州市松本清張記念館発行の「松本清張研究」に掲載されたもの）</a> （pdfファイル 187.0KB）<br>■質問や要望をお寄せください。<br>Email:<a href="mailto:unp@unii.ac.jp">mailto:unp@unii.ac.jp</a></dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dt>アジアで世論調査する。</dt>' +'<dd class="gakuchodate">(2008.02.03記事）</dd>' +'<dd>　学問分野でいうと、政治学と国際関係論を専門にしています。とにかく職業、趣味、習慣が一致しているので、とにかくいろいろ調べ、いろいろ書きます。このところ継続的に行っているのが、アジアの世論調査です。２００３年から開始しました。これまでに東アジア、東南アジア、南アジア、そして中央アジアすべての国（朝鮮民主主義人民共和国と東チモールを除く）、２９の国家・地域で調査し、次から次ぎへと著書・論文を刊行しています。アジアの普通の人々の日常生活を軸に質問表ができています。物理的な側面として、たとえば電気、ガス、水道の使用とか、社会学的な側面として、たとえば家族、職場、近所、マスコミ、企業、国際機関、中央・地方政府、裁判所、軍隊、警察などをどう思っているかとか、心理学的な側面として、たとえば一番の心配事は何かとか、どんな人に自分の子供がなってほしいかとか、いろいろです。詳しくは次を見てください。<br><br>アジア・バロメーター ウェブサイト:<a href="https://www.asiabarometer.org/" target="_blank"> https://www.asiabarometer.org/</a><br>○2007年アジア・バロメーター公開シンポジウム<br> <small>（2007年12月13日　東京大学山上会館にて）</small><br><img src="../column/files/asiabarometer_1.JPG" width="240" height="175"> <img src="../column/files/asiabarometer_2.JPG" width="240" height="175"><br><br>　最近では信頼と健康について関心を深めています。アジアの２９の社会で行った世論調査データをプールしたもので分析してみると、他人を基本的に信頼している人はどちらかというと健康な人が多いというのが結論です。逆にいうと、他人をあまり信頼しない人は健康を損ねている人が多いという結論です。もちろん、因果関係としてみれば、逆方向もあるのでしょう。つまり健康が芳しくない人は他人に猜疑心をもちやすいということになるのでしょうか。信頼といっても個人に対する場合、社会制度に対する場合とありますが、どちらについても分析をすすめています。社会制度をあまり信頼していない人は、病院にもあまり行かないと思うので、どちらかというと健康を損ねやすいのではないでしょうか。さいわいなことに聖路加国際病院の徳田安春博士や東京大学医学部の神馬征峰教授などと共同研究を進めています。健康と制度に対する信頼に関する論文については、例えば、次を見て下さい。<br><br><a href="../column/files/Trust_in_Healthcare_System_and_Individual_Health.pdf" target="_blank">”Trust in the Healthcare System as Social Determinant for Individual Health in Seven Southeast Asian countries: the Asia Barometer 2007 for Comparative Health Study”</a> （pdfファイル 83.0KB）<br><br>　新潟県立大学では国際人間学部一学部ですが、教員の学問分野ではなく、学生の興味や進路希望によりウェイトをつけて授業科目をつくっています。教員の研究主題もそれにあわせるようにしたいとおもいます。いいかえると、学際的な主題、融合的な主題になります。上からではなく、下からの要望にできるだけ耳を傾けるのが新潟県立大学の方針です。<br><br>■質問や要望をお寄せください。<br>Email:<a href="mailto:unp@unii.ac.jp">mailto:unp@unii.ac.jp</a></dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dt>世界を議論する</dt>' +'<dd class="gakuchodate">(2008.02.02記事）</dd>' +'<dd>　学者という職業についてから２００８年で３４年になる。何が面白いって、世界はこうだ、ああだ、こうなる、ああなると議論していることではないでしょうか。私は集中して夢中になる性格なのでしょう。この３４年間で７０冊の著書、数百本の論文を執筆・刊行しています。書くことが職業でもあり、趣味でもあり、習慣でもあります。３分の２は日本語、３分の１は英語で執筆しました。何で英語でとよく聞かれます。日本語だと反応は微小ですが、英語だと反応がよい。それが著者をして英語執筆に向かわせるのだと思います。反応があると、私の思考が相手にされていると実感できます。昔、デカルトというフランスの哲学者は「我思う、故に我あり（Cogito, ergo sum）」という有名な言葉を残しました。私はこれをもじっています。「我著す、故に我あり（Scribo, ergo sum) 」です。<br>　それはさておき、この１、２カ月に執筆・発表したものは次のものです。いずれも世界がこうなる、ああなると議論しているものです。第一番は２００７年９月オーストラリアの日本学会で発表したものを学術雑誌「 Japanese Studies 」に刊行予定です。日本の対外政策路線の行方を論じています。折しも日本の安倍晋三首相と豪州ジョン・ハワード首相が安全保障の協定に調印したころです。今日までにどちらも首相の座からいなくなりました。第二番は２００８年１月８日シンガポール東南アジア研究所の「Regional Outlook Forum」で発表したものです。私の与えられた主題は米国と東アジアの関係です。米国大統領選挙が始まったときです。リー・クワンユー元首相、サーナム財務大臣、ヨウ外務大臣も列席のシンポジウムでした。第三番は環日本海経済研究機構主催の「北東アジア経済の発展」についての新潟での会議（１月２１日）でした。私は日本と大韓民国、中華人民共和国、ロシア連邦、そして朝鮮民主主義人民共和国との関係について、李明博、胡錦壽、ウラジーミル・プーチン、金正日の政策路線に焦点を当てて論じたものです。泉田裕彦新潟県知事、篠田昭新潟市長も列席の新潟の例年の会議です。泉田知事は超多忙のなか私の講演まで聞いてくださり感激の至りです。<br><img src="../column/files/20080121ERINA1.jpg" width="240" height="175"><br>○2008北東アジア経済発展国際会議イン新潟<br>  <small>（2008年1月21日 朱鷺メッセ：新潟コンベンションセンター（新潟市中央区）にて） </small><br>　第一番の会議では日本の豪州大使館が大きな役割を果たしました。日本の大使は上田秀明大使、新潟県立長岡高校の出身です。親しみを感じさせる英語の演説でした。大使館は素晴らしい絵画が全館に溢れています。全部大使自身の作品だそうです。第二番の会議ではサーナム財務大臣はシンガポール通貨庁時代、教育省時代、ダボス会議（１９９５年）からの旧知の仲で、新潟県立大学ができたら講演にきてくれるとのことです。教育省時代には日本の小学校から大学までつぶさに面接し、当時のリー・クワンユウ首相に政策提言を行い、劇的な昇進（通貨庁長官、教育大臣、そして財務大臣）に繋げています。米国のサブプライム不安に関連している日本の株価下落もシンガポールからの大量の下支え的な大量介入に救われていますが、最高責任者はサーナム大臣です。新潟県立大学とシンガポール国立大学と提携協定を作りたいと思います。第三番は新潟県立新潟高校の同級生の増田勝弥氏と横山尚子女史に数十年ぶりに会うことができました。若い時の顔は変わらないものです。若い時の表情しか記憶していないので同級生は歳を取らないような気がします。<br><br>■講演の中身はクリックしてみてください。感想をお聞かせください。<br>Email:<a href="mailto:unp@unii.ac.jp">unp@unii.ac.jp</a><br><br>◎第一番目の論文　<a href="../column/files/080110_Japan_as_Global_Ordinary_Power.pdf" target="_blank">“Japan as Global Ordinary Power: Its Current Phase”</a> （pdfファイル 45.7KB）<br>◎第二番目の論文　<a href="../column/files/080121_US_Relations_with_East_Asia.pdf" target="_blank">“U.S. Relations with East Asia”</a> （pdfファイル 94.0KB）<br>◎第三番目の論文　<a href="../column/files/080108_Japan_Rethinking_Northeast_Asia.pdf" target="_blank">“Japan Rethinking Northeast Asia”</a> （pdfファイル 22.3KB）</dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dt>新潟県立大学の理念と目標−再論</dt>' +'<dd class="gakuchodate">(2008.02.07記事）</dd>' +'<dd>　新潟県立大学はリベラル・アーツ教育を通して全天候型の人材を育てます。新潟県立大学は高度な英語力とリベラル・アーツ教育を土台にして、広い視野と鋭いセンスを培い、グローバリゼーションの引き起こす速い変化や思わぬ物事の展開にも対応できる底力のある人材を養成します。<br>　グローバリゼーションは東京だけの現実ではありません。地方のすみっこにまで浸透しています。燕三条の一流の技術をもった金属メーカーは近隣国の企業に最近買収されました。東京や名古屋の大きな企業だけが、グローバリゼーションのために人作りをやっていればよいというものではありません。買収されるということは外国資本が入ってくることですから、その企業のなかで別の仕組みが入ってきます。地方では人材が不足などといっても、対応がすぐになされないことではその企業にとっては不利な契約になりかねないのです。地方中小企業ほどグローバリゼーション対応能力のある人材を強く求めています。大企業は人材も集まりやすいし、大組織なのでさまざまな人材を社内で用意することはまだ容易です。しかし、地方企業は違います。ひとりでいくつもの役割を担うことが必要です。<br>　新潟県立大学では、このようなグローバリゼーションにも対応し、国際的にも活躍できる人材を養成します。まず一にも二にも高度な英語力です。徹底したマンツーマン主義と反復練習主義を行い、原則、全員の留学とし、高度な英語力をつけるようにします。留学前夜には、ＴＯＥＦＬ５００−５５０点に到達するよう全力を尽くします。加えて、口頭発表力、文章表現力、会計契約実務など基盤的能力を重視するのみならず、マナーや礼儀を身につけるようにします。スキルを取得するだけでなく、人間社会について根源的な問い掛けを学生とともに考える教育、リベラル・アーツ教育を根底に置いて学生を丁寧に育てます。開かれた視野、鋭い感覚を培うようにすることが２１世紀の教育の中核になければなりません。専門的な力は地域社会、国際社会やビジネスの現場で役に立つ企画力や突破力を体得できるように現場を重視します。このために企業や官庁などでのインターンシップ、留学のための奨学金などの活用を用意します。このような一般的な職業だけでなく、資格のとれるものとしては、中学・高校の英語教師、幼稚園教諭、管理栄養士、保育士、社会福祉士などを用意しています。最近の餃子事件でも明らかなように、管理栄養士にも栄養学、保健学だけではなく、経営の能力、国際的な視野が求められています。英語教師といっても国内で英語を日本人に教えるだけでなく、外国の大学で英語を使いながら日本語を教えるようなことも需要が急速に高まっています。そのような国際的な広がりをもつ職業選択を可能にするカリキュラムも用意してあります。外国人教員比率の向上だけではなく、留学提携大学を格段に拡大する準備を展開しています。<br><br>■質問や意見や要望などを歓迎します。次にお寄せ下さい。<br>Email:<a href="mailto:unp@unii.ac.jp">mailto:unp@unii.ac.jp</a></dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dt>新しい大学の理念と目標</dt>' +'<dd class="gakuchodate">(2008.02.01記事）</dd>' +'<dd>　新潟県立大学開学が２００９年４月と迫ってきました。大学の理念は自由な精神と開かれた思考です。新潟県立大学はグローバル化の時代に国際的にも飛躍できる、人間の出来た卒業生を生み出すことを目標としています。グローバル化が深まるにつれ、基盤的な体力―技能、知識、社会関係―が容赦なく試されます。同時に、飛躍力、突破力といった企画実行のちからとセンスが不断に試されていきます。新潟県立大学が国際人間学部（国際関係学科と人間生活学科）を掲げるのは、このような基盤力と飛躍力を培うことを目標としているからです。<br>　具体的には、最初の１年半は、毎日午前中を英語の集中学習に当てます。読む、書く、聞く、話すのすべてを、一人一人をほとんどマンツーマン方式で、優しく教え、強く育てることを基本にします。基盤力には国語、英語、パソコン、発表、討論、契約、会計、挨拶、マナーなどを含みます。飛躍力には新しい状況、早い変化などに適応する中で示せる時代感覚のさえ、企画立案の妙、組織運営の機微に加え、ありうる困難に立ち向かう時に発揮する情熱とエネルギーを含みます。このような基盤力と飛躍力を培う人作りを通してはじめて、地域振興、世界雄飛の実があがろうというものです。基盤力と飛躍力を伸ばすための基盤科目はとりわけ１年と２年に履修します。<br>　国際人間学部は国際関係学科と人間生活学科からなります。学生のキャリア選択に応じて授業を柔軟に融合してつくる履修モデルとして、（１）国際社会関係、（２）比較文化関係、（３）東アジア関係、（４）地域・環境関係、（５）子ども教育関係、（６）健康・食関係を用意しました。どの履修モデルを選択すべきかについては教員が一人一人の相談に応え、助言や手助けを丁寧に、継続的に差し伸べます。基盤科目ははじめは多く、専門科目は２年から３年そして４年と多く履修します。<br>はじめの１年半の英語力の判定によって、学生の希望に合わせて、外国の優秀な大学に留学することを奨励しています。異なる言語、文化、社会での経験があるかどうかで、グローバル化社会で貴重な肥やしになることは間違いありません。留学の後、専門科目をさらに履修し、国際的にも飛躍できるような人間のできた卒業生を出したいと思っています。<br>　授業は基本的に英語で行います。そのための準備が十分ではない学生のために、英語の授業は準備度によってクラス分けをします。毎日、毎週英語漬けにしながら、着実に英語力を上げてもらいます。予習復習を怠らず、午前の授業前にパソコン相手に２時間ひとりで格闘してもらうことにしています。英語以外の授業も英語を使用します。教員だけでなく、職員も英語に統一します。留学生も世界から来るように準備計画しています。社会人もまったく同じく、毎日予習復習に励んでもらいます。<br><br>　学生は勉学のみに生きているのではありません。サークル活動やインターンシップなどもしっかりとできるような仕組みを準備しています。留学も欧米諸国のほかに、韓国、中国、ロシアとも、提携大学を通して、活発に行う計画です。大学にきたら、授業だけでなく、充実したカフェテリア、懇談室、図書館、パソコン室などで有意義に時間が使えるように準備しています。キャンパスも四季の花が咲き乱れるように計画中です。<br>　これから大学のことだけでなく、私が参加したイベント、私自身の考えていること、私が執筆・発表した著作などについても、この新しい新潟県立大学がどのようなものになるかの手掛かりを与えると考え、触れていきたいと思います。</dd>' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dt>平成２０年を迎えるにあたり、ごあいさつ申し上げます。</dt>' +'<dd class="gakuchodate">(2008.02.01記事）</dd>' +'<dd>　急速に進展するグローバル化は、国という壁を取り払い、経済はもとより、政治、文化に至るまで地球を一つの単位として展開し、それぞれの国や社会のあり方を根本的に変えようとしております。<br>　このように大きく変容する世界情勢に適確に対応するため、県立大学は「地域の復権は創造的な教育研究活動から」を信念に、平成２１年の開学に向けた準備を進めております。地球規模での競争時代を迎える中、ひとくちにグローバル社会といっても、その基礎となるものは「ひと」であり、「ひと」づくりなくして「地域」の発展は望めません。<br>　県立大学では、多様化する社会要請や学生ニーズへの柔軟な対応を実現するため、学部・学科の枠にとらわれることなく、学問分野の横断的な組み合わせにより幅広い専門知識や能力を修得させるとともに、人間教育を重視し、グローバルに活躍できるひと・力を育成してまいります。<br>　県立大学がひとづくりを通じた地域振興を担い、さらに、県立大学を中心にした知のネットワークを構築することにより、東アジアの拠点大学として飛躍できるよう、今後とも、県内外の多くの皆様からご指導、ご鞭撻を賜りますよう心よりお願い申しあげまして、新年を迎えてのごあいさつとさせていただきます。<br><br>平成２０年１月</dd>' +'<dd>Copyright (c) Takashi Inoguchi All rights reserved.</dd>' +'</dl>';/* コラムバックナンバー */} else if (x == 19) {column='<dl id="column">' +'' +'<dd>&nbsp;</dd>' +'<dd>Copyright (c) Takashi　Inoguchi All rights reserved.</dd>' +'</dl>';/* コラムバックナンバー */} else {column='<dl id="column">' +'<dt>存在しないコラム</dt>' +'<dd>このナンバーのコラムはありません。</dd>' +'</dl>';}document.write(column);}